11月初旬の一時帰国の後半は、そう、京都で過ごしました。
前回も書いたように、京都では、ミクシイで知り合い、2年半前、桜の京都をクマの両親に見せる際、大変お世話になった、
namiusaさんに、またもやおんぶにだっことなりました。
今回は私の図々しさも増長し、彼女のお家にまで押しかけて、泊まらせてまでいただきました。
幸いにも彼女が、2年前よりフランス語を習いたい、とおっしゃって、スカイプでお教えしていて、何とか関係のバランスが保てているものの、
お忙しい彼女のこと、なかなかレッスンの時間が取れず、私ばかりがお世話になっている現状で、心苦しい限りであります。
早く彼女がフランスに来てくださらないと、恩返しが果たせません。
毎回日本に帰国すると、フランスの田舎の自宅と比べて、全ての規模の小ささにつぶされたような思いになるのですが、
namiusaさんの宇治のご自宅はマンションの最上階の角部屋で、廊下からは愛宕山や比叡山、南側には宇治の山から奈良方面に続く山並みが広々と見えて、
すこぶる快適な時間を過ごすことができました。
毎日朝早くから大阪までお仕事に出かけるご主人もいらっしゃるというのに、ちょうどラッキーにもお仕事が切れて(断ってくださったのですよね~) 、
namiusaさんは私につきっきりで一緒に遊んでくださいました。
ご主人もお疲れというのに、ウイークエンドは2日間とも運転をして、京都市内や大原方面に私たちを連れて行ってくださいました。
本当に感謝感激 雨あられ ありがとうございました 嬉涙!

その時の様子は、私なんかがここで書くこともないですね。
もうすぐ、もの書きの「大御所」になると期待される彼女の、もうとっくの大昔にアップされたブログ、
「秋のヴァカンス~京都編~」 と 「秋のヴァカンス~宇治編~」 に訪れ、心ゆくまで、その見事なプロの文章をお楽しみくださいませ。


京都に、なんで私はこんなに惹かれるのでしょう?
namiusaさんがいらっしゃるから、という訳だけではなくて、もっとばく然と、次回の帰国の際は、用事を済ませた後、大半を京都で過ごすことにもうずっと前から決めていました。
10歳くらいの子供の頃に、はじめて伊賀上野の親戚の車で京都を訪れましたが、なんかその時の感覚が、パリに初めて行った時と似ていたような?
大原の三千院と、その隣の宝仙院には、その時初めて訪れて以来、その後高校の修学旅行や、大人になってからも、なぜか何度も通っています。
前夫が京都の人でした。そんな人と知り合い平安神宮で式を挙げたのも、ご縁を感じます。
彼の実家は京都南部の市でした。それもnamiusaさんが高校の頃にお住まいだった町で、今の彼女のご自宅にほど近いところ。
最初彼女が仲良くしてくださったきっかけは、そのこともありました。ここにも一方的に勝手に、ものすごく彼女とのご縁を感じます。
その結婚中、盆暮れに帰省したことがなつかしいのか?今回彼女のうちの窓からの景色が当時を思い出させるのは確かでした。
でもそれは記憶に新しい、つい先日のことを思い出させるに過ぎません。
感じるものは、もっと市内の方とか、でなければもっと南の、奈良方面、「悠久」とか、「脈々と流れる」とか言う表現を使いたくなるような、
そんな時の向こうからやってくる思いです。
『オーラの泉』の江原さんを崇拝しているわけではありませんが、彼の言う「前世」の考え方には、まったくもって賛成で、
「そんなこともあるだろうな~」と思いながら、あの番組は見ていて気持ちが良かったです。
その考えに当てはめてみたら、私は絶対、以前この京都の町に暮らしていたのだ と思います。
フランスも、パリだかどっかにいたとも感じます。パリが嫌いなのには、その時の何かが作用しているのかもしれません?
京都については、「今生」(笑)では、そこを離れる時はたいてい、東に向かって去っていくわけで、叡山から連なる山科のトンネルに入る直前、
東寺の塔とその他の建物、山々の様子が見えなくなる瞬間、何故か毎回涙が出ます。
ヨーロッパに向かう飛行機に乗り込み、それが成田の滑走路から浮き上がる時と、まるで一緒の現象です。
一度江原さんに見ていただきたいものです。

京都でも、namiusaさんの計らいで、以前よりお目にかかりたい方にも会うことが叶いました。
最近は、年齢のせいか、徐々に物欲が薄らいできて、ご縁で知り合った人たちとお目にかかり、楽しいひと時を過ごせるのが、何よりの喜びに感じます。
その時のお伴に、あればあったでより一層うれしい、おいしい食べ物やお酒 (物欲はないと今言ったばかりなのに、食欲はあるのね) を、
一緒に「おいしいね」って分かち合えることも大切で、
それには何よりも元気でなければ、その楽しい時間は過ごせないのだ、どんなものよりも貴重なものはまずは「健康」だ と、つくづく思うのであります。
そんなことを思うのも、やっぱり先生をはじめ、今年はたくさんの人が逝ってしまって、そのさみしい思いから来るのでしょうけど、
そんな私の心を慰めるのに、京都はとても優しかったです。
かろうじて食欲がまだある私は、日本帰国の後半戦、最大の目的、「食料の買い出し」しか目の前にはありません。
すでにエネルギーも、お買い物をして荷造りするためにしか残っていない状態でしたが、namiusaさんとご主人は、しっかり私を京都の観光にも連れて行ってくれました。
アテンドをお願いして、本当によかった…
なぜなら、京都で過ごしてから、今はもう時間が経ってしまっていますが、現在、心に残っていることは、おいしいお菓子や食べ物よりも、
人に会ったこと、そしてお寺を回れたことだからです。
知恩院の特別拝観の三門、階段があんなに急で、上があんなに高くて、内部があんなになっているとは思いもよらなかった。
細川家の菩提寺で、ガラシャ夫人のお墓もある、大徳寺高桐院。
その静かな佇まいと美しいお庭と、数行だけと短いながらも、何よりも静かな気持になれた写経。
三千院本堂を説明するお坊さん。
毎回違う方ながら、その印象的なことと言ったら、数十年前から甲乙つけがたいです。高2の時は、ちょっとゲイな方でしたが、今回は大阪芸人な方でした。
お隣の、いつも正面から拝むだけで、今回初めて入った勝林院の、繊細な欄間の彫刻とイケメンな仏さま。
音楽を志す人にご利益がある、呂律が回るように、ろ川 と れつ川 を渡って入るのはもう5回目くらいの宝仙院。
40年前はだ~れもいない貸し切り状態だったのに、今回はその混雑ぶりにびっくり。
入口や中の様子まで変わってしまって、沙羅双樹の木がなくなってしまっていて、
でも血塗りの天井と、お茶菓子は変わっていませんでした。
人が集まるからこそ販売も始めたのでしょうね。ラッキーにも素敵な抹茶椀を手に入れることができました。
ご縁のある大好きな場所の、いい思い出になります
そして何よりも、namiusaさんと二人で静かな日暮れ時に訪れ、涙の出るような思い出となった、平等院鳳凰堂。
三千院のお坊さんが、「平等院さんあたりになりますとね、3Dちゅうんですか?
ぶわ~~~~ っと、きれいに再現映像見せてくれはりますがね。うちは、手描きですわ…」と笑わせてくれた、噂の、3D。
お金使っただけあって、それは素晴らしい見事な美しさでした。
知恩院三門、三千院、平等院鳳凰堂の拝観で、こうして私は3つの極楽浄土の様子を目にすることができました。
そして、「先生も今は、この想像のお花以上の素敵なお花の咲き乱れる、あの国へ昇って行って、安らかに私を見つめてくれているのだな~」 と思いながら、
悲しい思いを和らげるのを助けてくれました。
古より、理解しがたく、一人では解決しがたい、憤りや悲しみの最中には特に、宗教はこんな風に使われてきて、その存在は実にありがたいものです。
もっと時間と元気があったら、静かに長く、お寺の中に座っていたかったです。
いつでも行こうと思えばすぐに行ける京都に住んでいる人たちが、本当にうらやましいです。住んでいると、なかなか行かないものなのかもしれないですけどね。
オルレアンのカテドラルではそんな風に静かな気持になれないのは、なぜでしょう?
お土産に買ったかわいい根付を手に取ってながめたり、おいしいお干菓子をおいしいお抹茶でいただく度に、
そんな静かな京都に思いを馳せて、うちでも安らかな気持になれるのがうれしいです。

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知恩院さんでは、自動販売機で、お茶も売っていました。


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裏にはこんな風に、来年が法然の八百年大遠忌だと説明があります。お念仏をを唱えて、極楽浄土へ… ありがたいことです。


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大徳寺高桐院の、細川家のお墓付近。瓦や門など、随所に細川家の家紋が使われていました。細川家の家紋、周りの小さな円は8つなのね。


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極楽浄土はこんな色なのね。


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いつもは正面から中に入らず拝むだけだった、勝林院の彫刻の細かいこと!美しいです。


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今回はもう5回目になる、宝仙院。
拝観料を払う場所が門の横にあって、入ったら右に折れて、建物に入るように変わっていました。
以前は正面の大きな松に向かって進んで、小さなお玄関から入って、木魚を叩いて呼んだのに…


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中には、こんなに人が… 2重3重になって、お庭を眺めています。右側の竹の方も同じくです。
修学旅行で来た時は、12月の雪が降るような時で、ものすごく寒かった記憶があります。


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こんな囲炉裏の間もありました。
このお部屋に、以前は内部にあった、古い鉄琴のような楽器が展示されていました。


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宝仙院の入り口横から、小さな枯山水のお庭に出ることができるようになっていました。これも新しい?
そこの紅葉が、きれいでした。


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宇治では、いつもメルマガを受け取って、涎を垂らしていた、このお店にも、念願叶って行くことが出来ました。


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そこではこれをいただいた後、


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これをやっと食べることが出来ました。うれしいよ~。うっうっ 感涙。


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晴れてこれも買うことが出来ました。


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中には大きな栗が!



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namiuisaさんに勧められて買った、このおまんじゅう。ちょっと切り方がきたないですが、まあおいしかったこと!
これら全てを食べ尽くすことはできず、ちょっとづつ味わって、残りは大量にnamiusa家に食べ散らかしてきちゃいました。
持って帰れないですものね。ごめんなさ~い!
でもやっと食べることができた子たちで、大満足でした。




他にもやっぱり嬉しかったのは、錦市場を歩いたこと。
パッキンで力尽き、時間がなくて最後のお買い物はできませんでしたが、そんなことは物欲に過ぎません。元気でいれば、また来ることができます。
いつか錦の徒歩圏内で暮らしたい… と本気で思いました。

それからここに記しておきたいのは、博多で乗り込んだ新幹線で、お弁当とビールで一寝入りした後、京都駅を降りた後、
自宅に戻るnamiusaさんと別れた、ねこぽけさんと私がタクシーで目指したホテル、Citadine烏丸五条のこと。
いつもオペラのためにパリに来る母と泊まる定宿が、バスティーユから歩けるマレのCitadine。
アパート形式で、台所が付いていて、お掃除が1週間に1度しか来ないところが、母の気に入って、フロントの女性とも顔見知り。
京都の宿探しの際に、今年の3月に日本では東京新宿に続いて2件目のCitadineがオープンしたことを知って、セット料金などを検討、
京都にせっかく泊まるのに、パリと同じテイストにしなくても…とも思いましたが、他のホテルと比べて、何よりも新築というところにひかれて決めました。
結果は大満足。
てっきりお掃除は入らないものと決め付けて、初日散らかっぱなしで出かけたら、夕方戻るとベッドメイキングもお台所の食器もきれいにしてくださっていて、焦りました。
もちろん日本では当たり前ですが、宅急便で東京から送った大きなスーツケースも気持ち良く預かってくれていましたし、
ねこぽけさん用の空き段ボールもくださいました。
場所は地下鉄の烏丸五条駅のすぐ前、角にはマクドナルド、むかいにTSUTAYAとセブンイレブン、
並びには、朝11時までに出せば、18時には仕上がるクリーニング屋さん、24時間のスーパーマーケット、薬屋さん、100均、と、私には至れり尽くせりのお店の並び方。
次回も絶対ここに泊まるぞ~ と心に誓ったほど、いい宿を見つけることができました。


お目にかかった方たちは、namiusaさんの刺繍のお教室の先生とお仲間。
ミクシイアプリでちょっと絡んでいた、namiusaさんのお仕事仲間の素敵なご夫婦。
みなさんとはこれからも長くご縁が続きそうで、うれしい限りです。
それから、オルレアンにいた2年間、フランス語もお教えしたけれど、歩け歩け大会など、一緒にたくさんの楽しい時間を過ごしてくださった、
Yさんとも再会することができました。
今回は、力尽きた私の郵送用パッキンを全面的に手伝ってくださって、本当に助かりました~!いつもお世話になって、ありがとうございます。
関西の人たちの中にどっぷりはまった私。
未知であった、関西人のお笑い、ボケと突っ込みのエスプリと、その言葉のイントネーションを、ほんのちょっと習得できた気がしますが、
まだまだ真似はできません。
何と言っても、生まれも育ちも東京の、しがない「あずまびと」の私は、洛の人にしたら「地方の人」に過ぎませんから・・・ 
あ、別に、そう言われたこと、根に持っているわけではありませんよ、namiusaさん、ちょっと驚いただけですよ・・・。爆

30キロのスーツケースは、namiusaさんのお宅から出す、JALの手ぶらサービスを利用。これは、パリCDG受け取りという便利さ。ありがたいですね~。
他の20キロの郵送のSAL便も、郵便局の人がお家まで取りに来てくれます。

大変お世話になったnamiusaさんとは、お名残り惜しくも、彼女がお仕事に向かう別の駅への道の分岐で、朝、お別れとなまりました。
本当に本当にお世話になりました。早くフランスに来てね~。

京都駅では、まだ大丸も開店前。駅構内には売ってないかも・・・のお土産をあきらめて、1時間後の新幹線の指定席を取ります。
そして改札を入ったら、お目当てのものは、中にも売っていました。ラッキー。
またもや涙しながら、山科のトンネルを抜け、柿の葉寿司なんか食べて、うたた寝していると、
パシャパシャとシャッターの音で目が覚めます。
みんなが外の景色を撮っているのでした。雪があまりない、南側の富士山でした。
新幹線で東京に戻り、同級生のNさんと落ち合います。二人ともちょっと変わっちゃって、お互いがわからず、なかなか出合えませんでした。笑
丸ノ内線で銀座へ。新しくなった三越でランチしました。


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先生が通っていた銀座のお店が真下に見えます。



中目黒経由、自由が丘、タクシーで先生のお宅へ。
その晩は、先生の家族と同級生や後輩と一緒に過ごし、先生の横で寝たことは、贈ったステッチの記事のところで書きました。

翌朝はtakechanの家へお父さんに送ってもらって、近所のおいしいラーメン屋さんで、フランスでは口にできない庶民の味も堪能。
いいな~日本って。

夕方になって、takechanとごんちゃんで、羽田まで送ってもらいました。
横浜でサミットがあり検問が大変かも!ということで、早く出たものの、止められるような検問は全くなく、成田よりもスムース。
夜中1時の便なのに、17時には着いちゃいまして、新しくなった楽しい羽田空港で、最後のお土産を買いまくりながら、隅から隅まで見学。
ばっちり把握して、何でも訊いて~ 状態です。


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まるでディズニーランドの中のような、羽田空港内のモール。楽しいお店がたくさんあって、飽きることがありません。


お世話になったtakechanとも、お別れ。元気でね~。
入れ替わりにharumisanさんと、前夜も一緒にいた、Sさんが合流。3人でお食事しました。
便利な羽田は、モノレールのホームもすぐそこ。ホームに向かう友人を見送り、私の便の1時まで、まだまだ時間がありました。


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まだだいぶ待つな~…


悲しいながらも、たくさんの人にも会えて、皆さんの優しさに感謝した、今回の帰国。
本当に有意義でした。
今度はいつ帰ることができるかな~?3年後?
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by tchierisu | 2010-12-28 03:49 | 日本

10月31日、JALのパリシャルルドゴール空港発、羽田行きの就航ファーストフライト、お得なお値段での今回の一時帰国。
今回は仕事が忙しいためクマも同行してくれないし、
円が強くて、ユーロへの換算がひどいもので、お金がないと不幸な国、日本には、長くいればいるほど、消費してしまうので、短めの滞在となりました。
他にも、夏のクマの誕生日は、私はシャモニでお仕事中だったので、私の誕生日の時は一緒にいましょう、とか、
CDGまではクマに連れて行ってもらいたいので、そうなると週末、戻りは13日、などの理由もあって、
こんなに短い、まるで日本人利用のJTBツアーのような短期集中つめこみ日程、最後は生きているのがやっとな状態の満喫ぶりでした。


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いつもANA利用の私、今回初めてJALに乗り、CDGもターミタル2のE。ANA便のターミナル1と比べて、きれいだわ~。



羽田空港の新国際空港リニューアルに伴った、JALのパリ羽田便 就航。
このため?JALは他のヨーロッパ3都市航路を廃止したと聞きました。そこにお住まいのJAL利用者にはさぞかし困ったお話でしょうね?
羽田はやっぱり成田よりもはるかに便利でした。にわかに日本が近くなった気分です。
大嫌いではありますが、利用客の多い、観光の町パリさまさまですね。


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ファーストフライト記念ということで、搭乗口ではウエルカム朝食のサービスの後、ちょっとしたセレモニー、
はっぴを着た書道家が短冊に名前を書いてくれるというイベントもありました。
外人さんはカタカナで名前を書いてもらって、大喜び、子供たちもかっこいい漢字の自分の名前を眺めていました。
そんな中、パリ国立オペラオーケストラの、日本人バイオリニスト、いつも母がブログを楽しみにしている大島さんとバッタリ。
母に見せるために、お写真を撮らせていただきました。ありがとうございました。
彼女が持っていたLADUREEの袋を見て、すぐそこにお店があるというので、私もマカロンを買いに走りました。

みんなに配られた記念品の入った袋で、ご機嫌ではありましたが、羽田到着間際の30分、今まで私が経験したことないほど揺れました。
小さな子どもたちはみんなもどしていて、私も真っ青でした。
「340名(?)と6名のお子供さんを乗せた就航便は、只今羽田国際空港に無事到着いたしました」というアナウンスと共に、よれよれになって降りた私たち。
こんな状態をテレビカメラが待ち構えていたらどうしよう、と思いましたが、カメラは遠くで、乗客ではなくCARGOが降りてくるところを取材中。
後で、「この便のおかげで、ヨーロッパからのマグロが、築地市場に一日早く上ります」という話題だったと、友人より聞きました。マグロに負けた… 
荷物がターンテーブルに出てくるのに、えらく時間がかかっていましたが、それもマグロのせいだったのかしら?
おかげで、大島さんとまたたくさんお話しできましたけど・・・


先生にお線香をあげるという、悲しい用事も後から発生してしまいましたが、本来の帰国目的は、免許証の更新。
もうフランスで免許を取っているので、日本の免許証は、いらないのかもしれませんが、日本では身分証明書になる等で、なんか捨てられない…。
即日発行を希望しなければ、二俣川に行かないで、青葉警察でもOKということなので、今回は初めて警察で手続きしてみました。
そして初めて手にする、優良運転者 ゴールドカード。
でも正確には、まだ実家で預かってもらっているのですけどね。

免許証の書き換えの次の用事は、もう数年前から、ネットを通じてお付き合いさせていただいている、エキブロ仲間、みささんとねこぽけさんとの、
「今度帰国した際は、3人一緒に会いましょうね~」というお約束を果たすこと。
ねこぽけさんは実家と同じ県にお住まい。
彼女のステッチのチャートコレクションを何としてでも拝見するべく、青葉警察で書き換えの後、横浜で待ち合わせて、ランチ、お宅まで伺いました。
一方、みささんは九州にお住まい。約束を交わした以降に、みささんはおめでたとなり、もう赤ちゃんは世の中に出た後。私たちが何としても会いに行かなければなりません。
その次に絶対やらなければいけないのが、やっぱり温泉、やっぱり京都、ということで、それら全部を一気に済ませてしまえ!とばかりに、
前回、(もう3年近くも前!)クマの両親を連れて桜の京都のアテンドで大変お世話になった、宇治のnamiusaさんもお誘いして、3人でみささんのお宅を訪問しました。
もの書きのnamiusaさんは、とっくの昔にこの旅の様子をブログアップしていらっしゃいまして、そちらのスタイリッシュな記事を先にご覧になると、
拙ブログのひどさが目立ってしまいますが、まあしょうがない。
彼女の「秋のヴァカンス~九州編~」を、ぜひご覧くださいね。

ねこぽけさんと私は羽田から北九州へ飛び、namiusaさんは新幹線で京都から小倉、
そこでやはりみささんのお友達、私もネットでは仲良くさせていただいている みさん も合流。
以前事故を起こして廃車にしてしまって惜しまれる、大好きな車、ホンダJAZZ、日本での呼び名はfitを借りて、小倉駅にて、お二人をピックアップ。
4人でみささんのお宅にどっとおしかけて、晴れて念願のプチオフ会が叶いました!

その様子は、こちらのみささんのブログをご覧ください。

あっという間の数時間、お見合いみたいににやにや笑って、ちっとも話したいことが話せなかった感がありますが、
前日のねこぽけさんやみささんの作品やチャートコレクションを拝見できて、もう私は本当に幸せ・・・
趣味のお友達って、本当に大切ですね。ブログとミクシイ始めて、世界がこんなに広がって、本当によかったです。

お名残り惜しくもみささんのお宅をおいとまして、みさんとも途中でお別れ、高速を使って一路、福岡のキャナルシティのホテルに向かいました。
日本のETCは、ピーって鳴る時、止まっちゃいけないのね~。
そこでも、もう15年以来の友人であるCちゃんと数年ぶりの再会。
地元の彼女に、屋台やおいしいもの屋さん、とんこつラーメン屋さんを案内してもらって、博多中洲の夜を満喫できました。
10歳の時に出張の父に連れられて、とんこつラーメンの屋台が並ぶ中を手をひかれて歩いた記憶がありますが、
今回も、その時の記憶と同様の香りでありました。

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翌朝まで衣服に残るのは、この香り…


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バリカタ という言葉も、初めて知って、覚えました。



翌朝は、福岡を後にして、九州自動車道を熊本まで南下、阿蘇の火口を目指します。
九州は、今まで、福岡や、唐津までしか行ったことがなくて、熊本まで南下するのは初めて。
お友達も絶賛の、一度は行ってみたかった阿蘇山を見ることができて大満足。やっぱり自然はいいですね。
でも、ヨーロッパアルプスを見慣れた私には、阿蘇は思ったよりも荒々しくなくて穏やかな山容。
VOLVICのラベルのオーベルニュの山のようでしたね。火山だから一緒なのかしら?

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あの煙の上がる所が火口ね!あそこまで早く行きましょう!


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この下から煙が上がってきます。
煙が上がっている時は大丈夫。雨が降って、煙が見えない時は、ガスが発生して危険な時なんだそうです。




阿蘇山を後にして、その晩は黒川温泉のいこい旅館を予約していました。
数日前に「同じお値段で離れをご用意できますが…」とご親切にもご連絡をいただき、ラッキーな私たち。
一階には台所と広い温泉、居間にはテレビとこたつ、二階にはベッドルームと、かくれんぼができるほど大きな建物で、贅沢な気分。
お食事や他にたくさんのお風呂を楽しむのは、本館で、その都度車でお迎えに来ていただきました。
佇まいも素敵だったし、お食事もおいしかったし、宿の方たちも本当に皆さんいい方で、
もう一泊して、お風呂入ったり出たりしながら、チクチクしたいね~ と3人で話しました。
特にこたつに入って寝っころがりながら、今の日本の流行りの番組、人気者など、いちいちお二人の解説付きで見れたテレビが、最高でした。
日本に帰ってきてよかった…と実感できた宵でした。

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お夕食は、こんなのと、


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その次がこんなの。


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こうしたものもいただきました。


その他に、ご自由にどうぞの取り放題のおでんのお鍋がお食事処の真ん中ありました。でも、そんなに食べられないですよ~。


翌朝またゆっくりと早朝からお風呂に入って、おいしい朝食をいただきました。

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すでに自分のは食べ終わった後。写真を撮っていないことに気付き、お隣のまだいらっしゃってないお客様の席を撮影。


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大きく塊が残る大根おろし。そのしゃきしゃき感がたまりません。「す」の入っていないおいしい大根が手に入ってこそですよね。うらやましい限りです。
上下に行ったり来たりしないで、どちらだったか忘れましたが、一方通行でおろすのがポイント。なるほど~。


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いこい旅館さんには、たくさんのオリジナルグッズがありました。ご自由にどうぞのコーヒーも、こんなかわいいコーヒーカップでいただきます。
欲しかった、でもスーツケースには限りがあります。






お名残り惜しくも、大満足のすてきな旅館を後にして、その日はまずは、日本一の吊り橋を見に。



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こういうところ大好き!


橋の通路の真ん中が下が見えるようになってて、結構怖いです。トロントのタワーも、床がガラス張りのところ、乗れなかった私でしたっけ。


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左は紅葉、きゃあ、真下は怖い!


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右は滝、絶景でした。



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吊り橋の後は、もう最近は風情がないから泊まりに行ってはいけない、と、シャモニのK家族からも、さんざん忠告を受けていた、由布院が、いったいどんな所か行ってみました。
全体の町並みは、時間切れで見ることができませんでしたが、
ちょっと、上高地か軽井沢みたいな雰囲気の金鱗湖や、素敵なお店「鍵屋」や、カフェ「天井桟敷」がある、亀の井別荘付近を散策しました。
私は言われるままに車を運転していただけですが、流石はnamiusaさん、しっかり調べていてくれました。ありがとう。


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いい感じの金鱗湖。



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カフェ天井桟敷では、美しい緑を眺められる窓際席の代わりに、黒川温泉いこい旅館の方も教えてくださった、2階席を陣取った私たち。
お水やおしぼり、注文したものは、手動エレベーターで上ってきます。

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日本の高速道路は制限時速が時に80キロとかで、日ごろ130キロ以上で走っている私には、止まっている様。ついスピードが出てしまいます。
「tchierisuさん、一発免停だわね」。確かに…。
でもしっかり走らないと、着きません。

博多駅には予定時刻ピッタリ到着!レンタカーを返して、お土産と駅弁を買いこんで、3人で新幹線に乗り込みます。


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どうしてこんなすごい量なの?3人の荷物。すごいお土産の量。まだ旅も3日目なのに…


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きたきた…



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新幹線の楽しみは、何といっても 駅弁。
みんなそれぞれ迷った挙句 これにしました。


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私のはこんなの。お殿さまのお駕籠のかたち、上の棒の部分にはお箸とようじが入っています。



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ふたを開けるとこんなの。何でもおいしい、まずいものがない日本。素晴らしいです。もちろん缶ビールと一緒ですよ。



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検札も来て、やれやれ。おなかもいっぱいになって、ビールでほろ酔い。
到着後のお話は、ひと眠りした後に…
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by tchierisu | 2010-12-08 00:57 | 日本

12月18日に出発した北米旅行。
特に最初、本当に大変だった様子を、長々と書きました。
お時間のある方に限りお付き合いいただき、私の体験したストレスを味わって、
一緒に白髪を増やしていただきましょう。



旅行に出る日12月18日(金)の前日から、大雪が降り始めました。
5センチ雪が降っただけで麻痺してしまうフランスの交通機関や高速道路、
11時の便に間に合うようには、前日からパリに入った方がいいのでは?とも思いましたが、
オルレアンで借りるレンタカーの時間や、クマの娘がこちらに着く時間を考えれば、早めに出るのは難しく、
やっぱり少しはこちらで寝て、当日早朝に家を出ることにしました。
熱こそ下がったものの風邪でのどが痛くて絶不調の私、最後の支度を済ませてベッドに入ったのが夜中の12時。
3時間後の朝の3時には起床、4時前には家を後にしました。
そんな時間にもかかわらず、やはりいつもより交通量は多めの高速、一つ事故が起これば大渋滞になりそうな気配、
早めに出て正解だったようです、…と思いたい。
スムースにパリを抜けて、空港には6時過ぎには着き、無事にレンタカーも返しました。
急いで出発便のパネルを見れば、たくさんの便がキャンセル、でも私たちのチューリッヒ行きは「定刻通り」と出ていて、ひとまず安心しました。
たくさん待つことになりますが、待ってさえいれば乗れるのですから、ちくちくしながら、時間をやり過ごしましょう。
オルレアンの町に最後に行けなくて、買えなかった、MARIAGE FREREの紅茶や、
重くてスーツケースから出してしまったCONFIT DE CANARDも、
セキュリティーコントロール内の免税店でゆっくりお買いもの、
「乗り継ぎするところでも出さずに、到着地まで持って行ってくださいね」と、パックしてもらって手荷物に入れることもできました。

そこまでは良かったのです、そこまでは…
11時に「定刻通り」と出ていた私たちの、スイスインターナショナルエアー、チューリッヒ行き。
30分前の搭乗口集合時間になっても、見れば飛行機はまだいない模様、でも、搭乗ゲートがちょっと横に変更になったものの、まだ表示は「定刻通り」???
そして11時、やっとアナウンス、チューリッヒ空港は雪のため出発が遅れ、こちらへの到着が遅れ、そのまま私たちの出発も遅れているとのこと。
やっぱりね~、そうそううまく行くとは思わなかったけど…。
心配されるのは、チューリッヒでの、トロント行きエアーカナダ便の乗り継ぎ。
でも情報によると、チューリッヒでは多くの便が遅れているので、「たいてい」大丈夫との話。
乗り継ぎ時間も1時間近くあります。何とか間に合いたい!
やっと飛行機が着いて、乗りこむものの、なかなか飛び立たず、結局CDGを飛び立ったのは、2時間近くの遅れ。
13時50分、チューリッヒに到着。世界中への乗り継ぎ便は、1便を抜かし、ほとんど飛び立った後。
私たちが乗るはずだった13時10分発のトロント行きも「定刻通り」で20分前に飛び立った後でした。(全部少しずつ遅れていたのは確かだったようです、でも少しだけ…)

「乗り継ぎに間に合わなかった方は、トランスファーデスクに行ってください」と機内で言われ、
そこに行ってみると、すでに今朝からの乗り継ぎ便に間に合わなかった世界中から来た何百人の人が並んでいます。
お水とコーラとジュースのミニボトルが「ご自由にお取りください」状態で置かれただけで、
列は全く進まず、いったいここに並んでいるとカウンターで何をしてくれるのか、全くアナウンスがありません。
旅慣れた人なら、そこで何が行われているのかわかるでしょうけど、
クリスマス休暇をどこかで過ごそうとたまに飛行機に乗る人も多い様子、
待ち時間が長ければ長いほどいらだちが増してきます。
誰かがちょっと、「こちらで代わりの乗り継ぎ便、あるいは他の交通手段の検索、必要であれば今夜のチューリッヒのホテルの宿泊券を発行しております。
お時間がかかりますが、ご了承ください。」と叫ぶなり、
紙に書いたものを立ててくれるとかすれば、もっと静かに整然としていられたかも知れません。
雑然と並んだ人たちが乱れてズル込みする感じになり、
業を煮やして「いったい何をしているんだ~!」「どうしてあんた達はそこで列の中に入ってくるんだ~!」などと叫ぶのは、
みんな回りにいる、フランス語で話すパリからの人たち。ははは。
「あなたはどこから来てどこに行くの?」とだんだん周りでも声を掛け合ってみると、パリにこれから行く人、
ウイーンやベニスに行く人、アメリカに行く人、モントリオールに行く人とまちまち。
ある小さい子供2人を連れたマダムはパニックになり、「いったい私はどこに行くことができるの~!どうしたらいいの~!どうなってしまうの~!」とヒステリックに泣き叫び、
具合が悪いらしい子供たちも一緒になって泣いています。
子供連れも多く、もう現場はまさに戦争中の難民キャンプ状態。
スイスインターナショナルエアーの責任者らしき女性が、マダムをなだめて別室に連れて行き、彼女の解決策を検索しています。
結局、素直に並んでいたら、自分の番が来るのは4時間後、18時頃でした。
私の後ろに並んでいたやはりトロント行きの1人だけの男性は、ススス~っと要領よく、ファーストクラスの少ない列に行って、
翌日のニューヨーク便、その次の日のNY~トロント便をゲットしたようで、チューリッヒのホテルの宿泊券をもらってさっさと去って行きました。
それを見た私はもう並んではいられません。ファーストクラスの列に、クマの娘が具合が悪いと偽って、
受け付けてもらいました。本当は具合が悪いのは私なのですけど…

いずれにせよ、その当日にはトロント便はもうありません。その晩の夜のチューリッヒ泊まりは確定です。
先程の男性のように1人ならともかく、私たちは3人、なかなか3人同じ便を取るのは難しく、時間もすでにあれから3時間も経過、
翌日ニューヨークかシカゴに行って、翌々日のトロント便もすべて満席、
その時すぐフランクフルトに飛んで、その晩のトロント便への乗り継ぎがあるけど、
乗り継ぎ時間が30分しかないので、とてもリスキー、
イスタンブールだったかどっか、トルコにまで飛んで、なんて話も出ましたが、
いずれにしてもその後のトロント便はすべて満席で、乗れるのが確実ではないのです。
フランス語の通じるここスイスでもこんな有様、トルコでなんてと考えるだけで今でも身の毛がよだちます。

もうそうなると、その日乗り遅れてしまったのと同じ、翌日のチューリッヒ発トロント行きのキャンセル待ちリストに名前を入れるしかありません。
翌日がだめだった場合、翌々日の同じ便、それもだめだったらその次の日の同じ便… 
あ~ いったいいつ大西洋を越えられるのでしょう、私もさっきのマダムのネガティヴオーラがうつって、泣き叫びそうになりました。
そのカウンターでの情報によると、
エアーカナダの翌日のトロント便のチェックインは、前日、つまりその日の夜20時から受け付けてくれて、スーツケースもチェックインしてくれるという話、
その時にいた方が何かと有利だから、いるようにと言われました。
ホテルの宿泊券とナベットの停留所などを教わり、やっとそのトランスファーデスクを離れたのが、18時頃。
先程の泣き叫ぶマダムも同時に終わった模様。彼女もなんとトロント行きなのでした。
他の素直に並んでいた人たちも、続々と終えて、ホテルに向かっています。
ウイーンやベニス行きの人たちはどうやら鉄道で移動することになったようです。

やっとそこから空港の外のエリアに出ることになるのですが、不安的中、ターンテーブルのところには、私たちのスーツケースがありません。
係りの人に言って、ドキドキと待つこと数分。
どこやら全く違う遠いところから押されてきたキャリーの中に自分のスーツケースを見つけた時は、本当にホッとしました。
もうここらあたりで、気力体力ともに限界に達していましたが、今度は20時にエアーカナダのチェックインカウンターにいないといけないとなると、
ホテルに行ってまた戻って来るというのは疲れることになるので、そのまま空港にとどまることになりました。

ほんのちょっと通過するスイスのはずでしたが、山の仕事で残っていた私のスイスフランを持ってきていて正解でした。
チューリッヒ空港は山のガイドの仕事で何度もお客様を迎えに来た思い出があります。
空港警察に行って、バッジを発行してもらって、普通の人が入れない、パスポートコントロール直後のターンテーブルのところでお客様をお出迎え、
お客様をバスに乗せて、警察にバッジを返しに走って、と毎回大変だった思い出があります。
まさかその空港でまたこんな目に合うとは… チューリッヒ空港と相性が悪いのかしら?
でも毎回同じグリンデルワルドのバスの女性の運転手さん、ソニアとは仲良くって、
空港職員食堂に一緒に行って食事をしたり、良い思い出もあるんだけどな~。
いずれにしても、何かと縁が深い場所みたいですね~。

あまり食欲もなく、チェックインカウンターの横で時間をつぶします。
もし翌日のトロント便に乗れなかったら、直接、ヴァンクーヴァーに飛んでしまおうか?
でもそれじゃあお友達に会うはずだったクマの娘がかわいそう。
ニューヨークやシカゴのアメリカの町に入って、直接クリーヴランドに飛ぶなんてのもありでは?等など、
疲れた頭の中を考えがくるくる回ります。
でももう1泊目の予定の、ライトアップされたナイアガラの滝の横のホテルには泊まれません。
飛行機を取ってくれたオルレアンの旅行代理店のお友達には、午後トランスファーデスクに並んでいる時から電話をかけて、
並行してトロントへ行く手段を探してもらっていました。
そして結局エアーカナダのキャンセル待ちとなった旨を話すと、パリのエアーカナダに電話をしてくれて、
キャンセル待ちリストの私たちを何とか順番をあげてもらえないものか頼んでくれました。それから1泊目のナイアガラの滝のホテルにも、行けない旨をメールしてくれました。
時間的にうまくいけばキャンセル料を払わないで済むかもしれません。
同じく、トロント空港のレンタカー会社にも彼女は連絡。
今のところ一日到着が遅れるので、車はそのままとっておいてもらうように頼んでくれました。
ダニー ありがと~~~。
彼女のその日の勤務は早上がりでしたが、ちゃんと同僚に引き継いでくれて、
途中からはその人がちゃんと私たちのお世話をしてくれました。

20時になる1時間前から、エアーカナダに行きます。先程のマダムと子供2人、他のパリからのカップルもいます。
翌日便のキャンセル待ちをしている旨を説明します。
フランス語があまりできないエアーカナダの女性で、カナダ人のご主人を持つくだんのマダムが代表で英語で話してくれます。
スーツケースはキャンセル待ちでもチェックインを受け付けてくれるということで、液体は持たないようにして、1泊分の荷物に手荷物を作りなおしたのですが、
結局受け付けてはくれないことに…
そこでマダム、またもやパニックに、子供も具合の悪いのの頂点に。
カップルの男性とクマの娘が男の子を建物の外の空気に触れさせるべく連れて行ったり…
でも考えてみれば、乗れるかどうかわからない便にチェックインを前日からできるはずないですよね?
結局、後ろに並ぶ本来のチェックインするお客さんをものすごく待たせて、こういうキャンセル待ちの人がいるということを伝えることはでたものの、
なぜか?スーツケースを広げてヒステリックに泣き叫ぶマダムのせいで、ものすごくカウンターの係の女性への心証を悪くしただけで、
翌日、便の出発3時間前、10時にもう一度来るように言われて、その晩はホテルに行くこととなりました。
英語の流暢なあのマダムの存在はありがたかったけど、やっぱり悪いオーラがうつってしまって、私も横でついついどなりがちでした。
彼女たちとホテルは違ったものの、各ホテル行きのミニバス乗り場でナベットに乗ったのは、21時。
ホテルの部屋に着いたのは21時半ころ。
パークインホテルはとってもモダンな造りの快適なホテル。
夕食券ももらっていましたが、もうみんなクタクタで、降りていく元気もありません。
私はシャワーを浴びてなんとかホッとして、持っていたお煎餅をかじって、23時に就寝、死んだように眠りました。
こうして18日(金)は終わったのでした。


なんだかここまで書いて、嫌な思い出がよみがえり、ものすごく疲れてしまいました。
そう、この時が疲労の限界のピークだったかな?



気を取り直して、続きです。

翌日12月19日(土)の朝は、7時半に起床。
私はもんんのすごく、これ以上ないくらいの絶っ不調。
寝巻をスーツケースにしまいながら、しみじみと思いました。
この寝巻をここから取りだして、疲れた身体を次に横たえて眠れるのは、いったいいつで、どこなのだろう?
今夜もまたこのホテル?あるいはチューリッヒの他のホテル?
それともヨーロッパのどこか他の町?
それとも大西洋を渡って、アメリカのどこかの町?
それともトロントか一気にクリーヴランド?
朝起きた時に、その日の晩どこで寝られるかが分からないことが、こんなに精神的ストレルになるとは知りませんでした。
たかだか遊びの旅行でさえ、こんなに精神的に不安になるというのに、
戦争や震災で焼け出された人や、難民として逃げている人など、そのストレスはものすごいだろうな~ なんて思いが、
なぜかその時、頭をめぐったものでした。


クマとクマの娘と朝食を食べに降りるものの、もどしそうになって、部屋に上がり、あわてて荷物をまとめて、
予約した8時半の空港行きミニバスに飛び乗ります。(出発を3分、皆さんを待たせてしまいました。)
空港に9時着。はやばやと前日のエアーカナダのチェックインカウンターに並びます。
クマはもう一度、コントロールを受けて空港内部に入り、
前日のスイスインターナショナルエアーのトランスファーデスクに、渡されていた紙が不備そうだったので、問い合わせに行きます。
その日も朝から雪が降り、もうすでに前日と同じようにたくさんの人が並んでいたそうで、
「今日も乗れなかったら、また後でここに、今夜のホテルの宿泊券をもらいに来てください」と言われたそうです。
あ~ そんなことになりませんように…

カウンターに1時間前から並ぶと、マダムも子供たちも、その朝は元気に登場。良かった良かった。
10時になると、昨日とは違うアジアの女性が登場。
とても親切に親身な応対で、いろいろと電話をかけて問い合わせてくれたりと、気分が救われます。
マダムより私たちが先だったので、アジアの女性が調べてくれると、パリから連絡が行っていたのか?
「あ。クマさんご家族はもうお席ございますね~」とぽろっと一言聞こえました!
私たちの目は輝きますが、マダムは「え~!うちは~!」。
アジア女性、その後すぐに、マダムたち一家の分が確定でなかったのか、そこで期待を持たせてはいけない規則からなのか?
「あ、でもまだ確実ではないので、荷物はキャンセル待ちとしてお預かりしますが、時間までに搭乗ゲートに近づいていてください。
そこのデスクにて、出発直前に私どものスーパーバイザーが来て確定しますので。」と言われます。
そうこうしている時、隣のカウンターに前夜の係の白人女性。
前日泣き叫んだため心証が悪い私たちではありますが、
彼女が来た途端、同僚のアジア女性に「あ、この人たち最悪だから、もうほっときなさい」なんてスイスアルマンで話しているのを、マダムは聞き取れた様子。
キ~~~~!
いやいや、でも落ち着いて、光は見え始めていますよ~。
アジア女性は同僚の言葉を聞いて、眉間にしわを寄せたものの、やっぱり親切に対応を続けてくれました。
やっぱりアジアの根本の教育は白人のそれとは違うわよね。

なんとか黄色いキャンセル待ちの札をつけながらも荷物はチェックインして、流れて行き、
マダム一家に、横のカフェでお茶をご馳走します。
子供たちもクマの娘がいて、大分リラックス。
お砂糖入れますか?と聞くと、とんでもない という話。 
…と言うのも、そこで知ったのは、マダムは糖尿病で、そこで数値を測り、注射を打つ時間なのでした。
でも、もうものすごいストレスで計算もできない様子。手伝ってあげます。
コントロールを通り、早めにゲートに近づくことに。
それにしても、まあチューリッヒ空港の美しいこと。
中に入ってからのレストランやショップの様子、寿司バーなんてのもあって、思わず立ち寄りたかったものの、
飛行機に乗れるかどうかも分からない状態、それどころではありません、今から思えば本当に残念。
搭乗ゲートのあるサテライトには、これまたモダンな地下鉄に乗って行きます。
以前東京の地下鉄で見た、トンネルの中に、走りながら動画が見れるスクリーンがあったり、
驚きながらも、心の中は手を合わせて祈り続けています。
もうずっとうまくいきますようにのおまじない、人差し指と中指をクロスさせて、木を触り続けていました。
もうこれでもかと言うほどのモダンな建築の中で、心を落ち着かせるために、写真なんか撮ったりします。


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こんなにきれいなゲート横。



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この飛行機にどうかどうか乗れますように!!!
と思わず飛行機の写真を撮りながら念力をかけます。


そしてそして、ゲート横のデスクに、スーパーバイザーらしき女性が現れ、他の係員とパソコン画面をあれこれ見て、
私たちが渡した名前のカードと見比べています。
そして、何やら印刷をして、名前を呼ばれて、やっとのことで搭乗券を渡された時は、
12時半ごろ。
本当に乗れるの確定ですね?と思わず確認してしまい、そうですよと言われると、緊張の糸が切れて、涙が出てしまいました。
怖い顔をしていたスーパーバイザーの女性も、思わず私を見て、ほほ笑んでくれました。
マダムと2人の子供たちも一緒に乗れることになりました。
人の波に乗って、機内に入る時、ちらっと横を見ると、パリから来たカップルはまだ名前を呼ばれていないようで座って待っています。
彼らは乗れないの?お気の毒で、彼らの方を見ることができませんでした。
私たちもマダムたちも、もちろん席はてんでバラバラ、でも私の隣に来た男性が、クマの席に移ってくれることを快諾してくれて、
私はラッキーにもクマと隣り合わせに座ることができました。
クマの娘はもっと前の方で、トロントの町やナイアガラ、アメリカに詳しい男性と隣り合わせ、
かなりの情報を収集したのでした。
そうこうしていると、最後のタイミングで、くだんのカップルも乗ってきました~。
よかった~。思わず声をかけてしまいました。

滑走路は雪のため、各便出発は遅れ気味、飛行機にも氷が付いてしまうので、氷取りの液を飛び立つ前にかぶります。
そんなことをしていて、結局離陸は、14時10分。
やっとヨーロッパを離れることができたのでした。


ここまで長々詳しくディティールを書きましたが、なんのことはない、
「出発の日、雪のため飛行機が遅れて、乗り継ぎ便に間に合わず、翌日同便のキャンセル待ちで乗れて、トロントに一日遅れで向かった。」
と言うだけに過ぎないのですが、
18日朝の3時から、19日のこのチューリッヒを発った14時までの34~5時間が、
本当に今回の旅の一番のストレスでした。
体調も良くなかったし、後から鏡を見ると、白髪が一気に増えておりました。

ここで、今回学んだ教訓。
その1。
おこずかいを貯めてバックパッカーで旅行をするような若い頃ならともかく、
もうこの年になって、100ユーロくらい高くても、飛行機はなるべく直行便を選ぶようにしよう。
その2。
乗り継ぎ便をどうしても使わなければならない時は、なるべく同じ飛行機会社、同じ国内で乗り継ぐようにしよう。
(例:ヴァンクーヴァーに行く時は、エアーカナダで、同じカナダの都市モントリオールかトロントに飛び、
そこで同じエアーカナダの便でヴァンクーヴァーに向かう。等)

というのも、翌日20日は、東部アメリカは大雪、NY空港も大混乱になった模様なのです。
ファーストクラスの列に要領よく並んで、2日がかりのNY経由でトロント行きをゲットした男性、
翌日のNYでトロント便に乗るのは大変だったかもしれません。
さっさと解決策を見つけて、ホテルに引き揚げていく後姿は、恨めしかったけど、
結局翌日ダイレクトにトロントまで行けてしまった私たちの方がラッキーだったと言えるかも…
と、今だからここに書いちゃいます。


9時間半の飛行を終えて、無事にトロント空港に着いた私たち。
飛行機を降りて、アライバルに着くまでの間に子供たちはトイレに行きたくて、付き合ってあげたり…
もう最後まで面倒みちゃうよ!
荷物をターンテーブルで無事に受け取り、長い列のチェックを通り、外に出ると、
マダムのカナダ人のご主人が迎えに来ていました。
子供たちもパパに会えて大喜び。よかったよかった。
「いいノエルのバカンスを過ごしてね」と言って別れた私たちは、レンタカー会社を探します。
無事に予約してあった車に乗ることもできました。
大きなブルーのフォードの4WDです。
GPSもオプションで借りて、いざ空港を後にしたのが18時過ぎだったかな?
フランスとの時差がすでに6時間。フランスはもう真夜中12時なのですよね。
トロントも暗くなってるし、お腹もすいてきてるし…
でも、チューリッヒでスーツケースにしまった寝巻を出して、疲れた体を横たえられるのは、
まだまだ先で、遠いところなのでありました。

続く…

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by tchierisu | 2010-01-19 09:33 |