先生、Merci… 

丑年の私。
こういう年齢になれば、年々悲しいニュースを受け取ることも多くなるというものではありますが、
6月のシャモニの話題に続いて、私がブログを更新する度に、訃報ばかりではやりきれません。
9月末に受け取ったものは、全く心の準備もできていなかった突然のもので、本当に深い悲しみに苦しみました。
私のフランス語の恩師、先生と呼ぶだけでは全く足りない、私を娘のようなもの…とまで言ってくれて、私も第2の母と呼び、
私の人間形成すべてに影響を与えた、先生が亡くなったのです。
最初、中学の時から一緒にフランス語を習いに通っていた親友からメールが飛び込み、「先生が無くなった」とありました。
忙しい仕事中に、取るものもとりあえず私に短いメールを送ってくれた彼女も、動揺していたのでしょう。
「亡くなった」が「無くなった」になっていたのですが、
私にはまさに、表現できないおっきなものが突然掻き消えて、「無くなった」という表現がぴったりでした。
最初のうちは実感が湧かず、あえて友人とのゴルフの約束もキャンセルしないで、気を紛らわしてはいましたが、
数日経つごとに耐え切れなくなって、最初の電話だけではわからなかった「どうして?」という疑問を解決すべく、
先生の家族、友人などに電話をしました。
事情を聞いて、やっと落ち着いては来たものの、納得したらしたで、数々の思い出が走馬灯のごとく、
先生の声まで、いつものフレーズまで聞こえて、ますます何も手につかなくなりました。
日々の刺繍も全く捗らず、泣いてばかり。
こんなことではいかん、お茶でも入れなおして…、と、入れるお茶の入れ方までが、先生譲りだということに気づくありさまで、また涙が…
見渡せば、毎日の生活で、私は先生からもらい受けた和食器に囲まれていました。

最後に会ったのは3年前、と今の今まで思っていました。
確認しようと古い帰国の写真を取り出してきてやっと見つけた日付は、なんと2005年の7月でした!
5年もご無沙汰してしまっていたのか~。
フランスに来てからの14年の間には数えられるほどしか会ってないけど、その前の15年~20年は毎日のように生活を共にしていました。
若かりし頃、生活がつらい時は食べさせてもらい、問題があると一緒に解決してもらっていました。
「お世話になった」という言い方では全く十分ではないのです。

実はすでに、10月31日に日本へ一時帰国する便を取っていて、
今回はクマも来れなくて一人だし、そうだ、先生にも連絡して、会いに行こうかな~ と思っていた矢先でした。
お通夜・告別式の日取りを伺った時、間に合うようにすぐにフライトを変更することもできました。
それはそれは、もうものすごく迷いました。
私の状態を見たクマも、行きたいなら出発を早めて、早く行けと言ってくれました。
それを迷っている間が、一番苦しかったかな?
でも、危篤 とかいうならすぐに飛んで行ったでしょうけど、もう話せない先生の亡骸なんか見ても、悲しいばかりだし、
たくさんの方がいらっしゃるお葬式に出席して、昔の方たちにお目にかかることは、
今、フランスで静かに暮らしている私と先生との、魂同士の会話には必要ないこと、と勝手に判断させていただいて、フライトは変更しませんでした。
でも、「今夜がおうちにいる最後の晩だわ、お父さん(ご主人のことを私はこう呼びます)とゆっくり過ごしているかな?」
「斎場でのお通夜、今始まったわ」
「告別式が始まる… 式も終わって、みんなと最後のお別れで、いよいよ焼かれるところかしら?」
と時計をしょっちゅう見ては、ずっとずっと一人で泣いていました。

最近刺していたHAEDが全く刺せない状態となり、それならいっそのこと、先生のことを思って先生に捧げられるものを刺そう!と思い立ち、
訃報を聞いた3日後から刺し始めたのが、イザベルさんの本からのモチーフ、「MERCI」。
お通夜や告別式の間も先生のことを思って、これを刺し続けていられました。
お線香あげに行った時にお骨の横に置いてこよう、男所帯となってしまう先生のお宅にはふさわしくないし、後は片付けてもらってもいい、
私の独りよがりの自己満足だけど、今の悲しみを刺し込んで、刺し上がったら額装して悲しみを封印すれば、気が済むというもの。
悲しい色ではますます悲しくなってしまうので、あえて赤が入った、POMME DE PINの段染め糸を選びました。
できることなら帰国に間に合わせたいとは思いましたが、間に合わなかったら間に合わなかったで、その時はその時、
いつか持って行けばいいわ とも思い、のんびりした気持でもいましたが、
悲しみのあまり、他にできることがない状態、これを刺すばかりの日々となり、私にしては殊のほか早く、2週間くらいで刺し上がりました。


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額装は時間がかかるので、早めに と思っていた日にちに間に合いました。
いつもお世話になっているバレリーに事情を話すと、額装係を急がせてくれて、なんと、4日くらいで仕上げてくれちゃいました。感謝。



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MERCI
『Un petit fil rouge m'a dit...』/ Isabelle Haccourt-Vautier より
左部の名前と私のイニシャルその他はアレンジ (オリジナルはABCDaireサンプラーでした)
140 × 82 points
刺し上がり寸法:約23.5cm × 13.5cm
Toile:Zweigart むら染め風プリント入り(名前を失念)Vintage Peachかな?
     12fils (32ct)
fils:pomme de pin “Séduction”
    2 fils × 2 brins


左下の私のイニシャルだけは、縦の高さの目数が小さくて気に入ったものがなかったので、大きいものを1over1で刺しました。


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額のバゲットに、最初バレリーは糸と同じボルドーを勧めてくれましたが、やはり弔意を表すのが赤ではいけない…と思い、シンプルな白にしました。
額装はいつものように、ちょっと膨らませて、ガラスは反射しにくいものを入れてもらいました。


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春になって蝶々がお庭に飛んでいたら、先生が見てくれているって思えます。

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お骨の横に置いてもらえるようにと、キャンバスを立て掛けるような台の小さいのがお店にあったので、それも一緒に購入して、このように飾ってもらいました。




11月1日の朝、JALのパリ羽田便の就航ファーストフライトで到着。
お友達のtakechanが空港まで迎えに来てくれて、その日のお昼前には先生のお宅まで連れて行ってもらいました。
やっと・・・!お骨の前でお線香をあげることができました。
そして無事にお骨の横に、機内持ち込みで大切に持ってきた額装を置いて、一人自己満足。
お父さんにも、「tchierisuがこんなのつくるなんて、お前も変わったね~」と笑われて、
「赤いし、ふさわしくないでしょ?見苦しかったら片付けてね」と言うと、
「いやいや、きれいで素敵、よくできてるよ。
ちょっとはお母さんの周り、女性らしく明るくしたいから、これはここにずっと置いて、お参りに来てくれた人に見てもらうよ」
と言ってもらえました。嬉しい…

日本への一時帰国は12日まで。
最後の11日の晩にも、また先生のお宅に行き、お父さん、息子たち、一緒に習っていた同級生、後輩たちと一緒に、先生を囲みました。
みんな忙しいところを、私のスケジュールに合わせてくれたのです。ありがとうございます!
それまでの間に四十九日の法要はあったけれど、お父さんは先生とまだ離れたくなくて、
「tchierisuたちが来るのに、メインの先生がいないと困るでしょ?納骨は来春!」と、勝手にまだお骨を供えていました。
フランス語の先生なのに、ついに一度もフランスの地を踏まなかった先生。
お父さんと息子たちに、お骨の一部をフランスに持って帰って、連れて行ってやって欲しいと頼まれました。
そんな大事なことを…と思いましたが、家族同様に扱っていただけて、本当に嬉しかったです。
大きな骨壷を開けて、先生のお骨を見て、もう号泣。
でもやっと号泣できて、溜まっていたもの全てを、みんなの前で出すことができました。
小さなお骨を3つ、小さな缶に入れて、先生がいつも使っていたハンカチで包んで、バッグに入れました。
その晩は先生のお骨の前で、一人布団を敷いて寝ました。
以前、毎晩翻訳をしながらうたた寝してしまっていた先生のように・・・

は~気が済みました。
今はとっても晴れやかな気持です。
持ち帰った先生のお骨は、うちのサロンの暖炉の前、私のすぐそばに置いて、毎朝、お線香を焚いて、私が飲みたい朝のお茶を一緒に淹れてあげています。
そして、私がどれだけ今幸せに暮らしているかを、見てもらっています。

医者に診せるのが大嫌いだった先生。
今、私はものすごく幸せだから、この時間を一日でも長く過ごしていたいから、
私の弟のような先生の息子が私と同じことを思って言っていた通り、
先生を半面教師として、しっかり検査などは受けて、元気に永く暮らしていきたいと思っています。
こんなに若く早く逝ってしまった先生、お父さんも子供たちも本当に悲しんでいます。
でも、本人は、医者に触られるのが嫌で、私たちの言葉をあんまり聞かなかったんですから、
これこそが太くて短めの、彼女の生き様、スタイルなんだろうな…と、自分より若い人の訃報を受けてがっくり落ち込んでいる、私の実の母が言った通りだと思います。
いつも頑固で、人の忠告はあまり聞かない、その癖、人にはすぐ病院行けとか、指図が多くてうるさい先生でした。(笑)
人の面倒は本当によく見て、どれだけお世話になった人がいることか…
そうやって徳を積んだ人は、痛みとか苦しみは感じないようにできているのね…と、
モルヒネなんか全く打つことはなかったんですって、と告げると、母がまたつぶやきました。


先生のお参りという、悲しいプログラムが入ってしまった今回の一時帰国。
でも、たくさんのお楽しみも、もっと前から計画していて、そちらの方もしっかりこなしてまいりました。
その様子は次の記事…
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# by tchierisu | 2010-11-22 03:34 | クロスステッチ


6月初めにここで宣言したように、もっと頻繁にブログも更新しようと思っていた
シャモニでの1カ月と21日のお仕事生活。
先週の木曜日に無事に終えて、家に戻ってまいりました。
フランスの田舎で日々ゆっくり暮らしている私には、まだやればきちんと働けるのだという自信にはなったものの、
日本の仕事の仕方、リズムへの復帰は、本当に苦しくて、心から疲れ果ててしまい、
次回は頼まれても絶対お断りしようという、強い思いが確立いたしました。
山のエネルギーがどんなに強くても、寝食が取れないほどの毎日、
どんなダイエットやジム通いをしてもなかなか痩せれなかった体重が、7キロ減、
体脂肪ともどもぐっと減ったったことがそれをよく表しております。
(長年履けなかったズボンが、みんな履けるようになってしまいました!)
10年以上前に毎夏やっていたお仕事とはいえ、以前は電話とファックスの世界でした。
でも今はすべてメール、添付するものもエクセル文書だったりと、浦島花子のようなお婆さんはついて行けません状態でありました。
パソコンの前にいる時間が長くて、目はしょぼしょぼ真っ赤。
夜中遅くまでフランス語はまだしも、英語でメールを送るのが苦しいこと!
10年以上前は決まったエージェントからの催行ツアーばかりで、仕事内容はもっと単純でした。
現在はそれらのエージェントから独立した人たちが、他のエージェントを作って、
個性あふれるツアーを企画して手配依頼してきます。
エージェントの量がなんと増えたことでしょう!
個人レベルのお客様も皆さんリピーターで、いろいろなことをよくご存じ、こちらへのリクエストが複雑になったことが忙しさの原因だと分析できます。

休みを取った時には、300メートルの高さにあるシャレフローリアまで、頻繁にガンガン歩いて、トレーニングを積む計画でしたが、それもはかない夢でした。
たった一回だけ歩きましたっけ。
お客様に付いて山のツアーガイドに出る時が、唯一眠れてまともに食べれる時でしたが、
花が咲き乱れて、美しい景色を眺めながら歩くことも一回だけで、
なぜならもっとハードなツアーに出ることは、寝不足の日々のせいで体力的に全く自信がなく、断っておりました。
それでもエギーユ・デュ・ミディにも何回も登ったし、車でグリンデルワルドやツェルマットまでトランスファーサービスもやって、
ドライブを楽しむこともありました。
懐かしい人々と出会ったり、ここが私のフランス生活での原点だなと、あらためて感じることもできました。

前回のブログで、シオンにサッカーの練習試合を見に行ったことを書きましたが、その翌日には、
数年前から入退院を繰り返している、シャモニの名物日本人ガイド、Jさんのお見舞いに行きました。
ジュネーブからシャモニに向かう時、サンジェルベや、サランシュという下の町から上がって来るのですが、
その時左側の山の高いところにへばりつく村に、建物がいくつか見えます。
あのキュリー夫人も最後に療養したというサナトリウム群です。
今日では、もう治らない末期癌の患者さんなどが療養する村とされています。
Jさんももう何度もそこに入ったり、よくなって家に戻ったり、でもやっぱり自力での生活が難しく入院したり を繰り返していると伺っていました。
私が伺った日はちょうど土曜日で、上司のK氏と、J氏リクエストの町の市場のサクランボを買って持って行きました。
古くからある静かな病棟、病院という感じがしなくて、素敵なところでした。
J氏は、以前ほどではないけれど、それでも毒舌もちょっと披露してくれました。
でも、息はほんとうに苦しそう、なのに、ベランダの灰皿には煙草の吸殻がたくさん。
どんなに止めろと言っても聞かないのですものね、しょうがない…。
お客様に花の名前を聞かれて「タカネオレシラネソウ」 と言って許される唯一のガイドだったJ氏。
元気な姿を知っている私には、痩せてトイレに立つのも難儀する彼の姿は相当ショックで、
Tシャツを着替えるのを手伝ってあげた時の熱のある身体の熱さが忘れられません。
お見舞いを済ませた後、まだ動揺している私を、K氏がその村にある教会に連れて行ってくれて、私の心は本当に助かりました。


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モンブランを真正面に同じレベルで見れるようなその高い村に建つ教会は、
外も中も有名なアーティストの作品で出来上がっていました。
工事中だったし、立ち寄ったのはほんの10分くらいで、私の写真もピンボケで、
大したものは撮れませんでしたが、ちょっとご披露します。

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シャガールや、マティスくらいしか私は名前を知りませんが、
ステンドグラスやタペストリー、絵画や彫刻が、すべて名のあるアーティストによるものだそうで、
なのにあまり人に知られることなくひっそりと建っている様が、
私と同じように、最期を待つ人々を見舞った後の人々の心を慰めてきたのでしょうか?

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パリオペラ座ガルニエ宮の天井と同じタッチ、シャガールの絵ですね。


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数年前一人で訪れた、ニースの丘の上のマチス美術館を思い出させてくれました。


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ステンドグラスのモチーフにジャンヌダルクもいました。
オルレアン近郊に住む私が反応しちゃうところが自分ながらおもしろいです。



J氏はその後10日も経たない6月15日に亡くなりました。
恋する女性が他の人に嫁いでしまった日本に見切りをつけて、
何カ月もかけて貨物船に乗ってたどり着いたヨーロッパ、そしてシャモニで、人生を謳歌しきった(と思いたい)J氏。
その後交流を再開したその時の彼女が駆け付けたのは、彼が亡くなった翌日でした。
彼女が来てくれるってよ というK氏の言葉で安心してしまったのかもしれません。
アヌシーの火葬場に旅発つ、雨が降り出しそうな曇った朝、日頃元気なシャモニのガイドたちみんなが集まって涙で送りました。
アヌシーにはジュネーブからもたくさんの人が駆け付け、その後骨ではなくて灰となったJ氏を偲んで、
K家では精進落しも行いました。
数日後には故人の遺志通り、シャモニに流れるアルブ川に、灰を流しました。
そうすることによって、J氏はジュネーブまで流れて、レマン湖に入り、ローヌ川を下り、地中海に出て、
大西洋に流れて、インド洋を通って、
来た時と逆の道をたどって、大阪に辿りつけるのです。

シャモニのガイドで、1924年にシャモニで行われた第一回の冬季オリンピックにも貢献した、
作家でもある フリゾン・ロッシュ (ROGER・FRISON・ROCHE)とも仲のいい友人であったJ氏。
フリゾン・ロッシュの 『PREMIER CORDEE 邦題:ザイルのトップ』は、私がフランス語を一生懸命勉強していた頃、クマがプレゼントしてくれて、
初めて読破できたフランス語の小説だったので、ぜひともサインが欲しかったのに、
その後J氏にロッシュに会いに行くことを頼めないまま、数年前にロッシュは亡くなってしまって後悔しきりでした。
今頃、ふたりはモンブランを眺めながら、おいしいお酒を飲んでいるんでしょうね。
私も、町ですれ違うと、「お~ちょっと来い」と呼ばれて、
「あ、今お客さん待ってるから忙しいんです~」と言っても聞いてもらえず、
一杯ごちそうになった元気だったころのJ氏を思い出して、
あの時のままのおいしいお酒を、今はゆっくり飲みたいと思います。

ふっと考えれば、数年間全くシャモニの山の仕事に就いていなかった私が、わざわざ今年に限って呼ばれたのは、
J氏に会うためだったのかもな~ と思えるのです。

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# by tchierisu | 2010-07-28 18:41 | フランス生活


空港難民で始まったカナダアメリカ旅行も、今では楽しかった思い出ばかり。
前回1月19日(!)の記事の直後談、後日談を書こうと思いつつ、
どうもブログ熱が全く湧かない月日が流れておりました。

ですが、急に今こうして書き始めたのは、他でもない、
この月曜日より、ヨーロッパアルプス最高峰モンブランの麓の町、シャモニに来ております。
96年に初めてフランス滞在を始めた際も、まずはこの町に入り、仕事を覚えたものでした。
そういう意味で、ここは私にとって一番日本に近い場所であります。
もうここでの仕事を離れて、数年になりますが、
今年の夏、こうして声をかけていただくのは本当にうれしいこと。
昔の事を少しずつ思い出しながらで、なかなかいい仕事ができませんが、
でもまだこうして働ける自分を発見できて、自信が持てるというものです。

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96年に初めて見たこの景色。
確かにボッソン氷河はずいぶん上がってきて、地球の温暖化を目の当たりに。


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逆光で輝く、3つのシャモニ針峰群。
そのひとつひとつのディティールの針峰の名前を、当時は夢中で地図で確認、
いちいち有名な名前を見つけては喜んだものでした。


最初の日はいきなり1000メートル以上の標高に来たせいか、
600キロ以上の距離を車で走ってきて十分疲れているはずなのに、よく眠れませんでした。
6月1日から3日間にこなした仕事の量は、
日頃の私にとっては3週間分ぐらいのボリューム。
今や、動物相手に刺繍をしながら、ゆっくり暮らしている私には、
体育会系のエスプリで、目の回るようないつもながらのここの忙しさ、
それに加えた睡眠不足には、頭がくらくらしますが、
この山並みを眺めて、深呼吸をすれば、エネルギーが吸収されて、がんばれるというのも、
そんな自分の様子は、家にいては信じられないことです。
たくさんの懐かしい人たちとの再会も本当にうれしいものです。

そんな日々、今日金曜日は、初日から言われていたように、
スイスの町SIONに降りて試合の応援に行って。と言うモノでした。
他のことと混同して、てっきりバレーボールの試合だと思っていた私。爆


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まったく違ってて、ワールドカップ出場のサッカー全日本チームの
対コートジボワールとの練習試合でした。
誰もいないような試合を思い描いて、シャモニ組4名で、
国境を越えてマルティニーへ降りて隣の町SIONまで、1時間弱。
会場に着くと驚き!
ジュネーブからはバス2台だと聞いていましたが、
いったいどこから湧いてきたのか、ものすごい日本人の量!
日本から練習試合だけを見に行くというツアーに参加の方もいらしゃったり、
駐車場の車はドイツナンバーも。
両国の大使やVIPもいて、警備員もたくさんだし、
爆発物の取り締まりのため、カンやビンに入った飲み物は、コップに入れてからでないと、
会場内に持ち込めないという話まで出て、コップを探したり…
でも結局は持ち込みOKだったのだけれども…
こんなに日本人をいっぺんに見たのは、帰国以来ですね。
それもそのはず、日本ではTBSでなんでも生放送で実況だったそうです。
すごい報道陣でした!

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試合の方は、選手たち、なんだか緊張しているせいか、動きがよくなくて、2対0で負けました。



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まあ本番はこれからだから、怪我しないようにしてね…
サッカーは全く詳しくありませんが、この二人はやっぱり人気者のようです。


でも、公の試合が終わったあと、控えの選手たちも交えての練習試合45分は、
とてもリラックスしていて、1点を入れて、ちょっともやもやが取れたかな?










そしてそして、でもでも、お話したいのは、サッカーの試合もさることながら、

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この真ん中の人知ってます!
子供のころ育った、晴海や、祖母の住んでいた勝鬨橋の近く、月島を舞台にした
数年前のNHKの朝ドラ「ひとみ」に出ていた人だ~!
そして聞くところによると、なんとこの人達が、『エグザイル』というグループなのだそうです。
なんでもワールドカップテーマ曲を歌っているので、
こうして練習から応援に駆けつけているそうなのです。
これで私ももう、同い年のお友達のように、
「エグザイル?何それ?おいしいの?」というセリフを言わないで済みそうです。
かっこよかったよ~。ああ うれしい!
試合負けたから、景気づけに歌うか踊ってくれたらよかったのに~。残念!

でも期待しないで行っただけに、こんな大きなイベントに参加して、
まるで渋谷に行ったみたいな感覚になって、いい息抜きができました。
日射しが強くて、鼻の頭が赤くなっちゃったけど…


大変だけど、大好きで、遣り甲斐のあるシャモニでのお仕事は、7月20日くらいまで。
ワールドカップの仕事で南アに行く上司の留守中のフォローです。
6月末には、クマのエンデューロバイクの大きな試合があり、
お休みをもらって、アシスタンスに駆けつけます。
その直後、今回はオペラを鑑賞の母に付いて、
ゴルフをやめた母がもう使わなくなったキャディーバッグを私に譲るために
ポーターとして父も一緒にパリまで来るそうで、
オペラは一緒に見れないけど、せめて帰国の際空港まで送りに行き、
その晩自宅に1泊してまたシャモニに戻るというスケジュールもあります。
7月7日は私が取っているオペラの席があるので、
ジュネーブからパリに飛行機で行って、家に泊まって翌朝またパリ~ジュネーブと戻る、
っていうこともします。
それだけ休んでもまだお休みがあるので、ちょっと気が楽です。

今はとりあえずは夏のツアーづくりのためのアテンドで事務所勤務ですが、
来週にはグリンデルワルドにトランスファー=要は荷物を運ぶのが入っています。
オートマしか運転できず、会社の車がだめで、
自分の車だけしか運転できない半人前の役立たずだし、
このお話が来た1か月前から比べたら、これでも歩いたりゴルフをにわかに再開したりして、
体重は3~4キロは減ったものの、
10年前と比べたら、山歩きは全く自信がなかったりですが、
できることをこつこつ丁寧にこなしていきたいと思います。
がんばるぞ~。


ということで、またどこかに行って、面白いお話があったり、素敵な景色の写真が撮れたら、
是非記事アップしたいものだと、思いだけは大きいのであります。
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# by tchierisu | 2010-06-05 08:49 | フランス生活

12月18日に出発した北米旅行。
特に最初、本当に大変だった様子を、長々と書きました。
お時間のある方に限りお付き合いいただき、私の体験したストレスを味わって、
一緒に白髪を増やしていただきましょう。



旅行に出る日12月18日(金)の前日から、大雪が降り始めました。
5センチ雪が降っただけで麻痺してしまうフランスの交通機関や高速道路、
11時の便に間に合うようには、前日からパリに入った方がいいのでは?とも思いましたが、
オルレアンで借りるレンタカーの時間や、クマの娘がこちらに着く時間を考えれば、早めに出るのは難しく、
やっぱり少しはこちらで寝て、当日早朝に家を出ることにしました。
熱こそ下がったものの風邪でのどが痛くて絶不調の私、最後の支度を済ませてベッドに入ったのが夜中の12時。
3時間後の朝の3時には起床、4時前には家を後にしました。
そんな時間にもかかわらず、やはりいつもより交通量は多めの高速、一つ事故が起これば大渋滞になりそうな気配、
早めに出て正解だったようです、…と思いたい。
スムースにパリを抜けて、空港には6時過ぎには着き、無事にレンタカーも返しました。
急いで出発便のパネルを見れば、たくさんの便がキャンセル、でも私たちのチューリッヒ行きは「定刻通り」と出ていて、ひとまず安心しました。
たくさん待つことになりますが、待ってさえいれば乗れるのですから、ちくちくしながら、時間をやり過ごしましょう。
オルレアンの町に最後に行けなくて、買えなかった、MARIAGE FREREの紅茶や、
重くてスーツケースから出してしまったCONFIT DE CANARDも、
セキュリティーコントロール内の免税店でゆっくりお買いもの、
「乗り継ぎするところでも出さずに、到着地まで持って行ってくださいね」と、パックしてもらって手荷物に入れることもできました。

そこまでは良かったのです、そこまでは…
11時に「定刻通り」と出ていた私たちの、スイスインターナショナルエアー、チューリッヒ行き。
30分前の搭乗口集合時間になっても、見れば飛行機はまだいない模様、でも、搭乗ゲートがちょっと横に変更になったものの、まだ表示は「定刻通り」???
そして11時、やっとアナウンス、チューリッヒ空港は雪のため出発が遅れ、こちらへの到着が遅れ、そのまま私たちの出発も遅れているとのこと。
やっぱりね~、そうそううまく行くとは思わなかったけど…。
心配されるのは、チューリッヒでの、トロント行きエアーカナダ便の乗り継ぎ。
でも情報によると、チューリッヒでは多くの便が遅れているので、「たいてい」大丈夫との話。
乗り継ぎ時間も1時間近くあります。何とか間に合いたい!
やっと飛行機が着いて、乗りこむものの、なかなか飛び立たず、結局CDGを飛び立ったのは、2時間近くの遅れ。
13時50分、チューリッヒに到着。世界中への乗り継ぎ便は、1便を抜かし、ほとんど飛び立った後。
私たちが乗るはずだった13時10分発のトロント行きも「定刻通り」で20分前に飛び立った後でした。(全部少しずつ遅れていたのは確かだったようです、でも少しだけ…)

「乗り継ぎに間に合わなかった方は、トランスファーデスクに行ってください」と機内で言われ、
そこに行ってみると、すでに今朝からの乗り継ぎ便に間に合わなかった世界中から来た何百人の人が並んでいます。
お水とコーラとジュースのミニボトルが「ご自由にお取りください」状態で置かれただけで、
列は全く進まず、いったいここに並んでいるとカウンターで何をしてくれるのか、全くアナウンスがありません。
旅慣れた人なら、そこで何が行われているのかわかるでしょうけど、
クリスマス休暇をどこかで過ごそうとたまに飛行機に乗る人も多い様子、
待ち時間が長ければ長いほどいらだちが増してきます。
誰かがちょっと、「こちらで代わりの乗り継ぎ便、あるいは他の交通手段の検索、必要であれば今夜のチューリッヒのホテルの宿泊券を発行しております。
お時間がかかりますが、ご了承ください。」と叫ぶなり、
紙に書いたものを立ててくれるとかすれば、もっと静かに整然としていられたかも知れません。
雑然と並んだ人たちが乱れてズル込みする感じになり、
業を煮やして「いったい何をしているんだ~!」「どうしてあんた達はそこで列の中に入ってくるんだ~!」などと叫ぶのは、
みんな回りにいる、フランス語で話すパリからの人たち。ははは。
「あなたはどこから来てどこに行くの?」とだんだん周りでも声を掛け合ってみると、パリにこれから行く人、
ウイーンやベニスに行く人、アメリカに行く人、モントリオールに行く人とまちまち。
ある小さい子供2人を連れたマダムはパニックになり、「いったい私はどこに行くことができるの~!どうしたらいいの~!どうなってしまうの~!」とヒステリックに泣き叫び、
具合が悪いらしい子供たちも一緒になって泣いています。
子供連れも多く、もう現場はまさに戦争中の難民キャンプ状態。
スイスインターナショナルエアーの責任者らしき女性が、マダムをなだめて別室に連れて行き、彼女の解決策を検索しています。
結局、素直に並んでいたら、自分の番が来るのは4時間後、18時頃でした。
私の後ろに並んでいたやはりトロント行きの1人だけの男性は、ススス~っと要領よく、ファーストクラスの少ない列に行って、
翌日のニューヨーク便、その次の日のNY~トロント便をゲットしたようで、チューリッヒのホテルの宿泊券をもらってさっさと去って行きました。
それを見た私はもう並んではいられません。ファーストクラスの列に、クマの娘が具合が悪いと偽って、
受け付けてもらいました。本当は具合が悪いのは私なのですけど…

いずれにせよ、その当日にはトロント便はもうありません。その晩の夜のチューリッヒ泊まりは確定です。
先程の男性のように1人ならともかく、私たちは3人、なかなか3人同じ便を取るのは難しく、時間もすでにあれから3時間も経過、
翌日ニューヨークかシカゴに行って、翌々日のトロント便もすべて満席、
その時すぐフランクフルトに飛んで、その晩のトロント便への乗り継ぎがあるけど、
乗り継ぎ時間が30分しかないので、とてもリスキー、
イスタンブールだったかどっか、トルコにまで飛んで、なんて話も出ましたが、
いずれにしてもその後のトロント便はすべて満席で、乗れるのが確実ではないのです。
フランス語の通じるここスイスでもこんな有様、トルコでなんてと考えるだけで今でも身の毛がよだちます。

もうそうなると、その日乗り遅れてしまったのと同じ、翌日のチューリッヒ発トロント行きのキャンセル待ちリストに名前を入れるしかありません。
翌日がだめだった場合、翌々日の同じ便、それもだめだったらその次の日の同じ便… 
あ~ いったいいつ大西洋を越えられるのでしょう、私もさっきのマダムのネガティヴオーラがうつって、泣き叫びそうになりました。
そのカウンターでの情報によると、
エアーカナダの翌日のトロント便のチェックインは、前日、つまりその日の夜20時から受け付けてくれて、スーツケースもチェックインしてくれるという話、
その時にいた方が何かと有利だから、いるようにと言われました。
ホテルの宿泊券とナベットの停留所などを教わり、やっとそのトランスファーデスクを離れたのが、18時頃。
先程の泣き叫ぶマダムも同時に終わった模様。彼女もなんとトロント行きなのでした。
他の素直に並んでいた人たちも、続々と終えて、ホテルに向かっています。
ウイーンやベニス行きの人たちはどうやら鉄道で移動することになったようです。

やっとそこから空港の外のエリアに出ることになるのですが、不安的中、ターンテーブルのところには、私たちのスーツケースがありません。
係りの人に言って、ドキドキと待つこと数分。
どこやら全く違う遠いところから押されてきたキャリーの中に自分のスーツケースを見つけた時は、本当にホッとしました。
もうここらあたりで、気力体力ともに限界に達していましたが、今度は20時にエアーカナダのチェックインカウンターにいないといけないとなると、
ホテルに行ってまた戻って来るというのは疲れることになるので、そのまま空港にとどまることになりました。

ほんのちょっと通過するスイスのはずでしたが、山の仕事で残っていた私のスイスフランを持ってきていて正解でした。
チューリッヒ空港は山のガイドの仕事で何度もお客様を迎えに来た思い出があります。
空港警察に行って、バッジを発行してもらって、普通の人が入れない、パスポートコントロール直後のターンテーブルのところでお客様をお出迎え、
お客様をバスに乗せて、警察にバッジを返しに走って、と毎回大変だった思い出があります。
まさかその空港でまたこんな目に合うとは… チューリッヒ空港と相性が悪いのかしら?
でも毎回同じグリンデルワルドのバスの女性の運転手さん、ソニアとは仲良くって、
空港職員食堂に一緒に行って食事をしたり、良い思い出もあるんだけどな~。
いずれにしても、何かと縁が深い場所みたいですね~。

あまり食欲もなく、チェックインカウンターの横で時間をつぶします。
もし翌日のトロント便に乗れなかったら、直接、ヴァンクーヴァーに飛んでしまおうか?
でもそれじゃあお友達に会うはずだったクマの娘がかわいそう。
ニューヨークやシカゴのアメリカの町に入って、直接クリーヴランドに飛ぶなんてのもありでは?等など、
疲れた頭の中を考えがくるくる回ります。
でももう1泊目の予定の、ライトアップされたナイアガラの滝の横のホテルには泊まれません。
飛行機を取ってくれたオルレアンの旅行代理店のお友達には、午後トランスファーデスクに並んでいる時から電話をかけて、
並行してトロントへ行く手段を探してもらっていました。
そして結局エアーカナダのキャンセル待ちとなった旨を話すと、パリのエアーカナダに電話をしてくれて、
キャンセル待ちリストの私たちを何とか順番をあげてもらえないものか頼んでくれました。それから1泊目のナイアガラの滝のホテルにも、行けない旨をメールしてくれました。
時間的にうまくいけばキャンセル料を払わないで済むかもしれません。
同じく、トロント空港のレンタカー会社にも彼女は連絡。
今のところ一日到着が遅れるので、車はそのままとっておいてもらうように頼んでくれました。
ダニー ありがと~~~。
彼女のその日の勤務は早上がりでしたが、ちゃんと同僚に引き継いでくれて、
途中からはその人がちゃんと私たちのお世話をしてくれました。

20時になる1時間前から、エアーカナダに行きます。先程のマダムと子供2人、他のパリからのカップルもいます。
翌日便のキャンセル待ちをしている旨を説明します。
フランス語があまりできないエアーカナダの女性で、カナダ人のご主人を持つくだんのマダムが代表で英語で話してくれます。
スーツケースはキャンセル待ちでもチェックインを受け付けてくれるということで、液体は持たないようにして、1泊分の荷物に手荷物を作りなおしたのですが、
結局受け付けてはくれないことに…
そこでマダム、またもやパニックに、子供も具合の悪いのの頂点に。
カップルの男性とクマの娘が男の子を建物の外の空気に触れさせるべく連れて行ったり…
でも考えてみれば、乗れるかどうかわからない便にチェックインを前日からできるはずないですよね?
結局、後ろに並ぶ本来のチェックインするお客さんをものすごく待たせて、こういうキャンセル待ちの人がいるということを伝えることはでたものの、
なぜか?スーツケースを広げてヒステリックに泣き叫ぶマダムのせいで、ものすごくカウンターの係の女性への心証を悪くしただけで、
翌日、便の出発3時間前、10時にもう一度来るように言われて、その晩はホテルに行くこととなりました。
英語の流暢なあのマダムの存在はありがたかったけど、やっぱり悪いオーラがうつってしまって、私も横でついついどなりがちでした。
彼女たちとホテルは違ったものの、各ホテル行きのミニバス乗り場でナベットに乗ったのは、21時。
ホテルの部屋に着いたのは21時半ころ。
パークインホテルはとってもモダンな造りの快適なホテル。
夕食券ももらっていましたが、もうみんなクタクタで、降りていく元気もありません。
私はシャワーを浴びてなんとかホッとして、持っていたお煎餅をかじって、23時に就寝、死んだように眠りました。
こうして18日(金)は終わったのでした。


なんだかここまで書いて、嫌な思い出がよみがえり、ものすごく疲れてしまいました。
そう、この時が疲労の限界のピークだったかな?



気を取り直して、続きです。

翌日12月19日(土)の朝は、7時半に起床。
私はもんんのすごく、これ以上ないくらいの絶っ不調。
寝巻をスーツケースにしまいながら、しみじみと思いました。
この寝巻をここから取りだして、疲れた身体を次に横たえて眠れるのは、いったいいつで、どこなのだろう?
今夜もまたこのホテル?あるいはチューリッヒの他のホテル?
それともヨーロッパのどこか他の町?
それとも大西洋を渡って、アメリカのどこかの町?
それともトロントか一気にクリーヴランド?
朝起きた時に、その日の晩どこで寝られるかが分からないことが、こんなに精神的ストレルになるとは知りませんでした。
たかだか遊びの旅行でさえ、こんなに精神的に不安になるというのに、
戦争や震災で焼け出された人や、難民として逃げている人など、そのストレスはものすごいだろうな~ なんて思いが、
なぜかその時、頭をめぐったものでした。


クマとクマの娘と朝食を食べに降りるものの、もどしそうになって、部屋に上がり、あわてて荷物をまとめて、
予約した8時半の空港行きミニバスに飛び乗ります。(出発を3分、皆さんを待たせてしまいました。)
空港に9時着。はやばやと前日のエアーカナダのチェックインカウンターに並びます。
クマはもう一度、コントロールを受けて空港内部に入り、
前日のスイスインターナショナルエアーのトランスファーデスクに、渡されていた紙が不備そうだったので、問い合わせに行きます。
その日も朝から雪が降り、もうすでに前日と同じようにたくさんの人が並んでいたそうで、
「今日も乗れなかったら、また後でここに、今夜のホテルの宿泊券をもらいに来てください」と言われたそうです。
あ~ そんなことになりませんように…

カウンターに1時間前から並ぶと、マダムも子供たちも、その朝は元気に登場。良かった良かった。
10時になると、昨日とは違うアジアの女性が登場。
とても親切に親身な応対で、いろいろと電話をかけて問い合わせてくれたりと、気分が救われます。
マダムより私たちが先だったので、アジアの女性が調べてくれると、パリから連絡が行っていたのか?
「あ。クマさんご家族はもうお席ございますね~」とぽろっと一言聞こえました!
私たちの目は輝きますが、マダムは「え~!うちは~!」。
アジア女性、その後すぐに、マダムたち一家の分が確定でなかったのか、そこで期待を持たせてはいけない規則からなのか?
「あ、でもまだ確実ではないので、荷物はキャンセル待ちとしてお預かりしますが、時間までに搭乗ゲートに近づいていてください。
そこのデスクにて、出発直前に私どものスーパーバイザーが来て確定しますので。」と言われます。
そうこうしている時、隣のカウンターに前夜の係の白人女性。
前日泣き叫んだため心証が悪い私たちではありますが、
彼女が来た途端、同僚のアジア女性に「あ、この人たち最悪だから、もうほっときなさい」なんてスイスアルマンで話しているのを、マダムは聞き取れた様子。
キ~~~~!
いやいや、でも落ち着いて、光は見え始めていますよ~。
アジア女性は同僚の言葉を聞いて、眉間にしわを寄せたものの、やっぱり親切に対応を続けてくれました。
やっぱりアジアの根本の教育は白人のそれとは違うわよね。

なんとか黄色いキャンセル待ちの札をつけながらも荷物はチェックインして、流れて行き、
マダム一家に、横のカフェでお茶をご馳走します。
子供たちもクマの娘がいて、大分リラックス。
お砂糖入れますか?と聞くと、とんでもない という話。 
…と言うのも、そこで知ったのは、マダムは糖尿病で、そこで数値を測り、注射を打つ時間なのでした。
でも、もうものすごいストレスで計算もできない様子。手伝ってあげます。
コントロールを通り、早めにゲートに近づくことに。
それにしても、まあチューリッヒ空港の美しいこと。
中に入ってからのレストランやショップの様子、寿司バーなんてのもあって、思わず立ち寄りたかったものの、
飛行機に乗れるかどうかも分からない状態、それどころではありません、今から思えば本当に残念。
搭乗ゲートのあるサテライトには、これまたモダンな地下鉄に乗って行きます。
以前東京の地下鉄で見た、トンネルの中に、走りながら動画が見れるスクリーンがあったり、
驚きながらも、心の中は手を合わせて祈り続けています。
もうずっとうまくいきますようにのおまじない、人差し指と中指をクロスさせて、木を触り続けていました。
もうこれでもかと言うほどのモダンな建築の中で、心を落ち着かせるために、写真なんか撮ったりします。


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こんなにきれいなゲート横。



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この飛行機にどうかどうか乗れますように!!!
と思わず飛行機の写真を撮りながら念力をかけます。


そしてそして、ゲート横のデスクに、スーパーバイザーらしき女性が現れ、他の係員とパソコン画面をあれこれ見て、
私たちが渡した名前のカードと見比べています。
そして、何やら印刷をして、名前を呼ばれて、やっとのことで搭乗券を渡された時は、
12時半ごろ。
本当に乗れるの確定ですね?と思わず確認してしまい、そうですよと言われると、緊張の糸が切れて、涙が出てしまいました。
怖い顔をしていたスーパーバイザーの女性も、思わず私を見て、ほほ笑んでくれました。
マダムと2人の子供たちも一緒に乗れることになりました。
人の波に乗って、機内に入る時、ちらっと横を見ると、パリから来たカップルはまだ名前を呼ばれていないようで座って待っています。
彼らは乗れないの?お気の毒で、彼らの方を見ることができませんでした。
私たちもマダムたちも、もちろん席はてんでバラバラ、でも私の隣に来た男性が、クマの席に移ってくれることを快諾してくれて、
私はラッキーにもクマと隣り合わせに座ることができました。
クマの娘はもっと前の方で、トロントの町やナイアガラ、アメリカに詳しい男性と隣り合わせ、
かなりの情報を収集したのでした。
そうこうしていると、最後のタイミングで、くだんのカップルも乗ってきました~。
よかった~。思わず声をかけてしまいました。

滑走路は雪のため、各便出発は遅れ気味、飛行機にも氷が付いてしまうので、氷取りの液を飛び立つ前にかぶります。
そんなことをしていて、結局離陸は、14時10分。
やっとヨーロッパを離れることができたのでした。


ここまで長々詳しくディティールを書きましたが、なんのことはない、
「出発の日、雪のため飛行機が遅れて、乗り継ぎ便に間に合わず、翌日同便のキャンセル待ちで乗れて、トロントに一日遅れで向かった。」
と言うだけに過ぎないのですが、
18日朝の3時から、19日のこのチューリッヒを発った14時までの34~5時間が、
本当に今回の旅の一番のストレスでした。
体調も良くなかったし、後から鏡を見ると、白髪が一気に増えておりました。

ここで、今回学んだ教訓。
その1。
おこずかいを貯めてバックパッカーで旅行をするような若い頃ならともかく、
もうこの年になって、100ユーロくらい高くても、飛行機はなるべく直行便を選ぶようにしよう。
その2。
乗り継ぎ便をどうしても使わなければならない時は、なるべく同じ飛行機会社、同じ国内で乗り継ぐようにしよう。
(例:ヴァンクーヴァーに行く時は、エアーカナダで、同じカナダの都市モントリオールかトロントに飛び、
そこで同じエアーカナダの便でヴァンクーヴァーに向かう。等)

というのも、翌日20日は、東部アメリカは大雪、NY空港も大混乱になった模様なのです。
ファーストクラスの列に要領よく並んで、2日がかりのNY経由でトロント行きをゲットした男性、
翌日のNYでトロント便に乗るのは大変だったかもしれません。
さっさと解決策を見つけて、ホテルに引き揚げていく後姿は、恨めしかったけど、
結局翌日ダイレクトにトロントまで行けてしまった私たちの方がラッキーだったと言えるかも…
と、今だからここに書いちゃいます。


9時間半の飛行を終えて、無事にトロント空港に着いた私たち。
飛行機を降りて、アライバルに着くまでの間に子供たちはトイレに行きたくて、付き合ってあげたり…
もう最後まで面倒みちゃうよ!
荷物をターンテーブルで無事に受け取り、長い列のチェックを通り、外に出ると、
マダムのカナダ人のご主人が迎えに来ていました。
子供たちもパパに会えて大喜び。よかったよかった。
「いいノエルのバカンスを過ごしてね」と言って別れた私たちは、レンタカー会社を探します。
無事に予約してあった車に乗ることもできました。
大きなブルーのフォードの4WDです。
GPSもオプションで借りて、いざ空港を後にしたのが18時過ぎだったかな?
フランスとの時差がすでに6時間。フランスはもう真夜中12時なのですよね。
トロントも暗くなってるし、お腹もすいてきてるし…
でも、チューリッヒでスーツケースにしまった寝巻を出して、疲れた体を横たえられるのは、
まだまだ先で、遠いところなのでありました。

続く…

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# by tchierisu | 2010-01-19 09:33 |


旅から戻り、フランスでの普通の生活が先週より始まっています。
前半まで、気温はずっと氷点下、ちょっと暖かいなと感じて温度計を見ても、マイナス1度とか0度とかでした。
降った雪はなかなか融けず、細い田舎道の両側の溝には、一時何台も車がはまって放置されていました。
豊かな肉襦袢のさすがの私も、お出かけの際は、ユニクロヒートテックの背中にホカロンを貼っていました。
でも、旅立ち前からの風邪は、旅行中の不規則な食事のため、抗生物質を全部飲みきらなかったせいか、抜け切れていず、
今もまだ「のどが痛いな~」と思ったら、また週末熱を出したりして、ぶり返しています。
やっと時差ぼけがなくなってきたものの、
先週は遅くまでなかなか眠れなかったり、寝ても夜中に目が覚めて朝まで眠れなかったり、午後3時頃まで全くおなかがすかなかったり…。
でも、こんな状態をお話しするのは、実はなんのことはない、
年末年始よりみなさまからいただいているお便りに、まだお返事もできず、
お友達のブログにもご挨拶もせず読み逃げし続けている、言い訳なのでありました。
新年早々、失礼しておりますみなさま! 本当にごめんなさ~い。

火曜日もフランス中がマヒするとまで言われた大雪が降りましたが、一夜明けて、水曜日は久しぶりに太陽が出ました。
やっぱりお日さまはありがたい!気分が全然違いますよね。何でもポジティブに考えられる…(単純な私)
気温もその後は最高でプラスの6度にまで上がってきました。あったか~い、春みたい~。(気が早い)


さて、毎年この時期の恒例、ダカールラリー。
先週は、テレビ番組の録画のはしごするほど熱が入りませんでしたが、やはり友人知人の奮闘ぶりをテレビで応援するのはいいものです。
アルゼンチン・チリは、夏真っ盛りのようで、暑そうな様子。
残念なことにすでにリタイアしてしまった人たち、まだまだ上位を狙う人たち、是非とも無事にゴールまでたどり着いて欲しいものです。
テレビ観戦できるのは、ユーロスポーツと、フランステレビジョンのふたつ。
フランステレビジョンの方では、今年は撤退した三菱チームで毎年優勝を狙っていた元スキーチャンピオン、リュック・アルファンが、
コメンテーターとして私の嫌いな司会者の側にいて、気持ちのいい番組作りをしてくれています。
彼は、クマも出場した去年6月のエンデューロレースで、背骨を傷める大事故に合いました。
なんとか一命を取り留め、奇跡的に歩けるようにリハビリに励み、仕事に復帰している姿は素晴らしい!
つい最近初めて見ましたが、新しい三菱4WD車のコマーシャルに、彼が出ていました。
自分が過去にスキーやモータースポーツで負った身体中の骨折を説明して、「だからもう安全なこの車」なんて言っていて、説得力があるというものです。
2000年のチュニジアラリーで、バイクで参戦のクマは、リュックの運転するKANGOO車に足を轢かれてしまいました。
ものすごく申し訳ながって、心配してくれたリュックは、自分のキネ(マッサージ師)にクマの治療を頼んでくれました。
それ以来私たちも顔見知り、4×4MAGAZINEの取材の際にも、快く協力してくれました。
クマがダカールにアシスタントとして参加した年が、リュックが三菱で優勝した年でもあって、
優勝が決まったリュックとクマのツーショットが2人ともいい顔していて、私は大好きです。
この週末でラリーは終わりますが、今度リュックは、先日私たちが行っていた、カナダはヴァンクーヴァー~ウイスラーに飛んで、
冬季オリンピックのコメンテーターとして活躍してくれるはずです。
頭の回転も速いし、英語も上手だし、やっぱり何かを一つ極めた人は、にじみ出てくる人柄が違いますね。
リハビリを続けて、もうすぐスキーもしてもいいとお医者さんに言われた彼の今の目的は、6月のル・マン24時間レースの参戦だそうですが、
「あんまり無理をしないで~」とファンの一人はここで叫んでおります。





さて、私は、風邪をひきながらも、気分はまだまだすっかり北米にかぶれております。
10歳の時から、フランス語を習わされ、
お陰で、フランス語が嫌い=フランスが嫌い=ヨーロッパが嫌い=アメリカが好き
の図式をかたちづくってまいりました。
何かの因果で、今はその嫌いなフランスに移り住み、暮らしておりますが、
今回、また大西洋を越えて、あちらに行けば、やっぱり、何もかもがうれしいものばかりなのでした。
たとえば、車を走らせ、ラジオから流れる音楽、ヨーロッパとはまったく違います。
若かりし頃聴きまくった米軍用のFENから流れていたヒットソング。
もう10年以上も耳にしていなかったのが、突然、毎日何度も流れて、懐かしさに涙が出ました。
クマも知らないミュージシャンや曲もたくさん。ヨーロッパとアメリカの文化の違いを改めて感じました。
何でもないものねだり、隣の芝生が青く見えるのでしょうけど、大西洋の反対側の大陸に憧れるあまり、その違いが何でも素敵に見えてしまいます。
何もかもビッグサイズで開放的、人々が陽気でいつもスマイル、どんな職業の人もプライドを持って仕事に従事のプロ意識…等など どれをとっても素晴らしい…。
フランスに戻り、CDGに降り立つとたんに、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い状態で、フランスのすべてが嫌に見えてしまいました。
なんて汚い、なんて道がぼこぼこ、なんて運転が荒い、しかめっ面をした暗い人々、働かない人々、キャー歩きながら煙草吸ってる~…etc と、
数え上げればきりがないです。
でも、そんなことばかり数えても、不幸になるばかりなのでやめようと思い、
フランスのいいところを見つけようとしているのですが、まだなかなか見つかりません。
まあ日本で暮らしていた時よりはいいかもね~、と思うようにして…
カナダに無くてフランスにある、私が恩恵にあずかっている幸せないいことって何?なんだか大してない感じなのよね~?
要は、いい思い出ばかりの旅行だったので、めでたしめでたしと納得しないといけませんね。


そんな、今振り返れば、いい思い出ばかりの旅行ですが、先日もお話ししたように、旅立ちの最初だけが、本当に本当に大変でした。
すでにもうだいぶそのことについてお友達にも話して、気が済んだこともあるし、
嫌なことを思い出しながら今さら書く元気がなくなってしまってましたが、
やっぱりお約束なので、ここに記録しておきます。
まだまだお目にかかれない近くや遠くのお友達がいっぱいいて、その人たちにこのことを聞いても欲しいですしね。

そして書き進めている、旅の最初のお話ですが、とっても長くなってしまっているので、
今日はひとまずここまででアップしておきます。
今回アップのここまで書くのも、なぜか月曜から金曜までかかってしまって…
なんかいまいち調子出ないな~。
ということで、続きはもう半分以上仕上がっているので、いつもより早めに近々アップできると思います。
早くこの悪夢のような話を終わってしまいたいし、ね。

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# by tchierisu | 2010-01-16 01:59 | フランス生活