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先生、Merci… 

丑年の私。
こういう年齢になれば、年々悲しいニュースを受け取ることも多くなるというものではありますが、
6月のシャモニの話題に続いて、私がブログを更新する度に、訃報ばかりではやりきれません。
9月末に受け取ったものは、全く心の準備もできていなかった突然のもので、本当に深い悲しみに苦しみました。
私のフランス語の恩師、先生と呼ぶだけでは全く足りない、私を娘のようなもの…とまで言ってくれて、私も第2の母と呼び、
私の人間形成すべてに影響を与えた、先生が亡くなったのです。
最初、中学の時から一緒にフランス語を習いに通っていた親友からメールが飛び込み、「先生が無くなった」とありました。
忙しい仕事中に、取るものもとりあえず私に短いメールを送ってくれた彼女も、動揺していたのでしょう。
「亡くなった」が「無くなった」になっていたのですが、
私にはまさに、表現できないおっきなものが突然掻き消えて、「無くなった」という表現がぴったりでした。
最初のうちは実感が湧かず、あえて友人とのゴルフの約束もキャンセルしないで、気を紛らわしてはいましたが、
数日経つごとに耐え切れなくなって、最初の電話だけではわからなかった「どうして?」という疑問を解決すべく、
先生の家族、友人などに電話をしました。
事情を聞いて、やっと落ち着いては来たものの、納得したらしたで、数々の思い出が走馬灯のごとく、
先生の声まで、いつものフレーズまで聞こえて、ますます何も手につかなくなりました。
日々の刺繍も全く捗らず、泣いてばかり。
こんなことではいかん、お茶でも入れなおして…、と、入れるお茶の入れ方までが、先生譲りだということに気づくありさまで、また涙が…
見渡せば、毎日の生活で、私は先生からもらい受けた和食器に囲まれていました。

最後に会ったのは3年前、と今の今まで思っていました。
確認しようと古い帰国の写真を取り出してきてやっと見つけた日付は、なんと2005年の7月でした!
5年もご無沙汰してしまっていたのか~。
フランスに来てからの14年の間には数えられるほどしか会ってないけど、その前の15年~20年は毎日のように生活を共にしていました。
若かりし頃、生活がつらい時は食べさせてもらい、問題があると一緒に解決してもらっていました。
「お世話になった」という言い方では全く十分ではないのです。

実はすでに、10月31日に日本へ一時帰国する便を取っていて、
今回はクマも来れなくて一人だし、そうだ、先生にも連絡して、会いに行こうかな~ と思っていた矢先でした。
お通夜・告別式の日取りを伺った時、間に合うようにすぐにフライトを変更することもできました。
それはそれは、もうものすごく迷いました。
私の状態を見たクマも、行きたいなら出発を早めて、早く行けと言ってくれました。
それを迷っている間が、一番苦しかったかな?
でも、危篤 とかいうならすぐに飛んで行ったでしょうけど、もう話せない先生の亡骸なんか見ても、悲しいばかりだし、
たくさんの方がいらっしゃるお葬式に出席して、昔の方たちにお目にかかることは、
今、フランスで静かに暮らしている私と先生との、魂同士の会話には必要ないこと、と勝手に判断させていただいて、フライトは変更しませんでした。
でも、「今夜がおうちにいる最後の晩だわ、お父さん(ご主人のことを私はこう呼びます)とゆっくり過ごしているかな?」
「斎場でのお通夜、今始まったわ」
「告別式が始まる… 式も終わって、みんなと最後のお別れで、いよいよ焼かれるところかしら?」
と時計をしょっちゅう見ては、ずっとずっと一人で泣いていました。

最近刺していたHAEDが全く刺せない状態となり、それならいっそのこと、先生のことを思って先生に捧げられるものを刺そう!と思い立ち、
訃報を聞いた3日後から刺し始めたのが、イザベルさんの本からのモチーフ、「MERCI」。
お通夜や告別式の間も先生のことを思って、これを刺し続けていられました。
お線香あげに行った時にお骨の横に置いてこよう、男所帯となってしまう先生のお宅にはふさわしくないし、後は片付けてもらってもいい、
私の独りよがりの自己満足だけど、今の悲しみを刺し込んで、刺し上がったら額装して悲しみを封印すれば、気が済むというもの。
悲しい色ではますます悲しくなってしまうので、あえて赤が入った、POMME DE PINの段染め糸を選びました。
できることなら帰国に間に合わせたいとは思いましたが、間に合わなかったら間に合わなかったで、その時はその時、
いつか持って行けばいいわ とも思い、のんびりした気持でもいましたが、
悲しみのあまり、他にできることがない状態、これを刺すばかりの日々となり、私にしては殊のほか早く、2週間くらいで刺し上がりました。


先生、Merci… _a0091997_3565994.jpg


額装は時間がかかるので、早めに と思っていた日にちに間に合いました。
いつもお世話になっているバレリーに事情を話すと、額装係を急がせてくれて、なんと、4日くらいで仕上げてくれちゃいました。感謝。



先生、Merci… _a0091997_5265758.jpg


MERCI
『Un petit fil rouge m'a dit...』/ Isabelle Haccourt-Vautier より
左部の名前と私のイニシャルその他はアレンジ (オリジナルはABCDaireサンプラーでした)
140 × 82 points
刺し上がり寸法:約23.5cm × 13.5cm
Toile:Zweigart むら染め風プリント入り(名前を失念)Vintage Peachかな?
     12fils (32ct)
fils:pomme de pin “Séduction”
    2 fils × 2 brins


左下の私のイニシャルだけは、縦の高さの目数が小さくて気に入ったものがなかったので、大きいものを1over1で刺しました。


先生、Merci… _a0091997_529327.jpg


額のバゲットに、最初バレリーは糸と同じボルドーを勧めてくれましたが、やはり弔意を表すのが赤ではいけない…と思い、シンプルな白にしました。
額装はいつものように、ちょっと膨らませて、ガラスは反射しにくいものを入れてもらいました。


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春になって蝶々がお庭に飛んでいたら、先生が見てくれているって思えます。

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お骨の横に置いてもらえるようにと、キャンバスを立て掛けるような台の小さいのがお店にあったので、それも一緒に購入して、このように飾ってもらいました。




11月1日の朝、JALのパリ羽田便の就航ファーストフライトで到着。
お友達のtakechanが空港まで迎えに来てくれて、その日のお昼前には先生のお宅まで連れて行ってもらいました。
やっと・・・!お骨の前でお線香をあげることができました。
そして無事にお骨の横に、機内持ち込みで大切に持ってきた額装を置いて、一人自己満足。
お父さんにも、「tchierisuがこんなのつくるなんて、お前も変わったね~」と笑われて、
「赤いし、ふさわしくないでしょ?見苦しかったら片付けてね」と言うと、
「いやいや、きれいで素敵、よくできてるよ。
ちょっとはお母さんの周り、女性らしく明るくしたいから、これはここにずっと置いて、お参りに来てくれた人に見てもらうよ」
と言ってもらえました。嬉しい…

日本への一時帰国は12日まで。
最後の11日の晩にも、また先生のお宅に行き、お父さん、息子たち、一緒に習っていた同級生、後輩たちと一緒に、先生を囲みました。
みんな忙しいところを、私のスケジュールに合わせてくれたのです。ありがとうございます!
それまでの間に四十九日の法要はあったけれど、お父さんは先生とまだ離れたくなくて、
「tchierisuたちが来るのに、メインの先生がいないと困るでしょ?納骨は来春!」と、勝手にまだお骨を供えていました。
フランス語の先生なのに、ついに一度もフランスの地を踏まなかった先生。
お父さんと息子たちに、お骨の一部をフランスに持って帰って、連れて行ってやって欲しいと頼まれました。
そんな大事なことを…と思いましたが、家族同様に扱っていただけて、本当に嬉しかったです。
大きな骨壷を開けて、先生のお骨を見て、もう号泣。
でもやっと号泣できて、溜まっていたもの全てを、みんなの前で出すことができました。
小さなお骨を3つ、小さな缶に入れて、先生がいつも使っていたハンカチで包んで、バッグに入れました。
その晩は先生のお骨の前で、一人布団を敷いて寝ました。
以前、毎晩翻訳をしながらうたた寝してしまっていた先生のように・・・

は~気が済みました。
今はとっても晴れやかな気持です。
持ち帰った先生のお骨は、うちのサロンの暖炉の前、私のすぐそばに置いて、毎朝、お線香を焚いて、私が飲みたい朝のお茶を一緒に淹れてあげています。
そして、私がどれだけ今幸せに暮らしているかを、見てもらっています。

医者に診せるのが大嫌いだった先生。
今、私はものすごく幸せだから、この時間を一日でも長く過ごしていたいから、
私の弟のような先生の息子が私と同じことを思って言っていた通り、
先生を半面教師として、しっかり検査などは受けて、元気に永く暮らしていきたいと思っています。
こんなに若く早く逝ってしまった先生、お父さんも子供たちも本当に悲しんでいます。
でも、本人は、医者に触られるのが嫌で、私たちの言葉をあんまり聞かなかったんですから、
これこそが太くて短めの、彼女の生き様、スタイルなんだろうな…と、自分より若い人の訃報を受けてがっくり落ち込んでいる、私の実の母が言った通りだと思います。
いつも頑固で、人の忠告はあまり聞かない、その癖、人にはすぐ病院行けとか、指図が多くてうるさい先生でした。(笑)
人の面倒は本当によく見て、どれだけお世話になった人がいることか…
そうやって徳を積んだ人は、痛みとか苦しみは感じないようにできているのね…と、
モルヒネなんか全く打つことはなかったんですって、と告げると、母がまたつぶやきました。


先生のお参りという、悲しいプログラムが入ってしまった今回の一時帰国。
でも、たくさんのお楽しみも、もっと前から計画していて、そちらの方もしっかりこなしてまいりました。
その様子は次の記事…
by tchierisu | 2010-11-22 03:34 | クロスステッチ